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生活チープサイド

カテゴリ:Mother( 102 )

踏み込む勇気

毎日残業、そして毎日柿ピーの日々です。


同じ部内の人で、娘さんが乳がんで厳しい状況にある人がいる。
私の母が膵臓がんであることがわかったとき、その人は、娘は乳がんでステージ3だったけれど大丈夫だったから、きっと私の母も大丈夫だ、と励ましてくれたのだった。
しかし、それから半年たち、その娘さんはどうやら再発をしてしまったのらしい。

私より20は年上のその人は、会社を休みがちになった。
男で営業だから、上司からそんな状況でも叱責がある。
隣のチームだから、聞きたくなくても聞こえてしまう。
娘さんは、いまもう意識がないのだという。
その人は、顔色を変えず、態度もいつもと変わらないでいる。その葛藤を思う。

その人が励ましてくれたように私もその人を励ましたいと思う。
でもいざ目の前にすると言葉が出ない。
ただ笑う。
普段どおり突っ込んだりもする。
その人が、少しでも痛みを忘れていられるように、居場所はあるのだと思えるようにと思う。

こんなに、勇気がいるものとは思わなかった。
私を、ほんとにたくさん助けてくれた友人たち、祈ってくれた人たち。
ごはんを差し入れてくれたり、車で送り迎えしてくれたり、CDを送ってくれたり、ヒロトの写真を送り続けてくれたり、お見舞いに来てくれたり。
私の話に付き合ってくれた人たち、私の八つ当たりに耐えてくれた人たち。
毎週愛知から通ってご飯を作りつづけてくれた義母、すべてを支えてくれた夫。
ほんとにたくさんの人たちの勇気で、私たちはやっと生きていたのだなあ。

それは、ほんの少し踏み込む勇気。
あなたを応援していると、あなたの味方だと、伝える勇気。見守る勇気。
私の周囲の、大好きな人たちがくれた、大切な大切な勇気。

私はその勇気を持てるのかな、持てたらいいな。
勇気って、男らしかったり力強いイメージだけじゃなくて、こんなささやかで、でもほんとに人を救ったり助けたりできるものなんだな。

会社のその人の娘さんとそのご家族が、どうかいい時間をすごせますように。祈る。
by sima-r | 2008-11-14 00:07 | Mother

「それ」のしのぎ方

今日も残業。
9月に送った見積のことを聞かれ、あまりにも覚えていないことに自分でびっくりする。
たしかに自分でやった仕事のはずなのに、先月の私は本当にすべてにおいてぼんやりしていた。

母が死んだのが7/31で、仕事に復帰したのが8月の後半。
復帰とはいっても、その頃の私は、ほんとうに使い物にならなかった。
パソコンの前に座り、ただただ自分の手のひらを見つめていた。
ときどき窓の外をぼんやり眺めたりして。
我ながら、ほんとうに!鬱だった。
周囲の人たちはみんな優しくて、そんな私を何も言わないでサポートしてくれていた。

母が死んで3ヶ月たつ今、悲しいというよりは辛い。
悲しいという感情は、どこか甘いものな気がする。
今の私の感情は、悲しみとは違う、後悔もあるけれどそれだけじゃない。
ただただ、日常の中フラッシュバックみたいに思い出して、叫びたくなる気持ち。

母が今年の1月に沖縄に行った時、七転八倒の背中の痛みの中、忘れずに買ってきてくれたおみやげの塩ちんすこう。
その最後のひとつを、今日食べ終わってしまった。
そのことを思うと、叫びたくなる。
足がすくむほど、胸をかきむしりたくなる。
世界中をバックパッカーとして女一人で旅行した母。
50すぎて沖縄に移住して、ほとんどの島でキャンプをした母。
どこに旅行をしても、母は必ず姉と私におみやげを買ってきてくれた。
破天荒に思われがちな母だったけれど、そういうことだけはとても律儀なところがあった。
当時の私には、そんな母のふるまいが、重くて辛かったりもしたのだけれど。

こういう辛さを、同じ思いをした人はどんな風にしのいでいるんだろう?
私の場合は、まだ渦中でよくわからないけれど、ただ、逃げては傷がふさがらない気がした。
私は見据えたい。
この気持ちが、私の中でどんな風に移り変わるのか。
私は知りたい。
その傷が、私にどんな痕を残し、私をどう変えるのか。

だから、マゾみたいとは思いつつ、母の残した言葉を読む。
母の残した足跡を、博物学者みたいに拾い上げては眺めて、自分で自分の傷を押し開く。
そうして、私は自分の傷をたしかめ、安心しようとしているのかもしれない。
それが近道なのか遠い道なのかはわからないけれど、私は今、こんな道しかみつけられないのです。
by sima-r | 2008-11-05 00:19 | Mother

どんな絶望の淵にも存在するもの

部屋が本格的に狭くなってきたので、本を売り払う日々です。
母の闘病時に死ぬほど読んだ「ガン・ホスピス・死生学」関係の本を見るのが辛くなったので、先日大量に近所の古本屋に売りました。
そのため、今、その古本屋は局地的にものすごくホスピス関係の書物に強いことになっております。

それでも、内容がとてもよくて売れなかった本があります。

河辺家のホスピス絵日記』河辺貴子/山崎章郎
新ホスピス宣言』山崎章郎・米沢 慧
死ぬ瞬間』E・キューブラー・ロス

この3冊は、何度も繰り返し読みました。
『河辺家~』は、大腸がんの夫をホスピスで看取った方の本で、辛い中にもユーモアを忘れない著者・貴子さんの心のありようには本当に助けられました。
『新ホスピス宣言』は、副題が「スピリチュアルケアをめぐって」となっている対談集です。
死を前にした人の心の痛み(スピリチュアルペイン)にはどのようなものがあり、そして周囲はどうしたらいいのか、この本で多くのことを学びました。
『死ぬ瞬間』はあまりにも有名な本ですが、ホスピスの理念の礎を築いたロス女史による、末期がん患者へのインタビュー集です。

また、別の意味で売ることができなかったのが『インフォームドコンセントのための図説シリーズ 膵がん』です。
これは夫が探し出してくれた本なのですが、医師が患者に説明する際に使用する本なので、とてもわかりやすく病気について知ることができた本でした。
ただ、私はこれを母にも姉にも見せることができませんでした。
他の医学書もずいぶんつまみ読みをしましたが、そこで得た知識は、母本人はもちろん、いっしょに看護にあたった姉にも言うことはできませんでした。
患者用に書かれた本ではなく医師用に書かれた本は、かなりシビアなことが書いてあります。
私は、そんな情報をあの場に入れたくなかった。
いちばん大事なのは母本人であり、世間一般の病状ではない。
知識を得るのは大切なことだけれど、不要な情報というものもある。

このブログにこうした本の題名を出すのも、正直迷いました。
ただ、「膵臓ガン」や「ホスピス」というキーワードで来てくださる方もいらっしゃるようなので、もしお役に立てばと思いあえて挙げました。
家族がガンであるとわかる、ということが、ものすごい心の負担であると私はもうわかったから。
自分の人生もがらりと変わり、嵐に翻弄されるような気持ちになる。
情報がとにかく足りなくて、必死にネットで情報を集めたり本を読みあさったり。
そのときの不安がどんなに大きいか、辛いか、私にはよくわかるから。

ただ、これだけは言えることがあります。
それは、情報に惑わされないこと。
がんとわかると、本当に、本当に多くの情報にさらされます。
それをどこまで自分の中に入れるかの線引きをしないと、情報でおぼれるような思いをすることになります。
情報をすべて入れたい人も、そうでない人もいるでしょう。
患者本人が「すべて知りたい」と言っていても、本心は違うこともありえます。
そこは、そこだけは、一人一人違います。
どんなに多くの情報があっても、何よりいちばんの情報は、目の前の家族なのだと思います。

がんは厳しい病気です。
それでも、私の母はあんなにも最後まで美しく生きました。
母が命をかけて教えてくれたこと、それは「どう生きるか」、ということでした。

どんな絶望の淵にも、希望と笑いは必ずあります。
うまく言えないのですが、ここに「膵臓がん」というキーワードでたどり着いたあなたの旅が、光に満ちたものとなるよう祈っています。
by sima-r | 2008-09-30 21:50 | Mother

人に返していく

Sちゃんから、北海道土産の手作りガラスの花瓶をもらった。

Sちゃんは、お母さんが2月に交通事故にあった。
脳に血がたまってしまい、普通の食事をとるのが難しいとのことだったので、介護食のレトルト製品を贈ったりしていたのだけれど、そうこうするうちに私の母が末期がんであることがわかり、それからはお互いに同志のように励ましあってきたのだった。
Sちゃんのところも両親は離婚しており、看護の実務とその責任一切を引き受ける辛さはよくわかったから。
まだまだ子供気分でいたのに、親の命にかかわる決断をしなくてはならないというのは、ほんとにヘビーな話だ。

大学病院とホスピスに寝泊りして看病していた私は、それまでよく知らなかった病院のしくみも少しはわかるようになっていたので、セカンドオピニオンを受けるときや、介護保険の申請のことなども彼女にアドバイスすることができた。
彼女はとてもとても頑張って、一時はほんとうに危なかったお母さんも無事に手術がすんだというからよかった!!

病気や事故は、ほんとにいつ襲ってくるかわからない。
一人でなんて、とても闘いきることはできない。
私は、病院での心構えを、夫の母から教わった。
昨年私が入院したとき、義母はずっとついていてくれて、怯える私のかわりに病院といろいろかけあってくれた。
それを身近で見て学んで、私も母のとき、同じように大学病院と闘うことができた。

そうやって、もらったものを人に返していく。
辛い思いをすればするほど強くなって、人を支えることもできるようになる。
私はまだまだヒヨッコだけれど、私のまわりの誰かが困ったとき、思い出してもらえる人になりたい。
不安で仕方ないとき、頼りにされるくらい強くありたい。
by sima-r | 2008-09-29 22:53 | Mother

母宅の引越し

昨日は、母の闘病のために借りた部屋の荷物を、母の自宅へ引越しをした日でした。

その日が近づくにつれ、精神的には本当にきつい思いをしました。
鬱だからだとは思いますが、正直、死んだ方がいいとまで思いました。
全部の事務手続きとか手配を一人でやるのがしんどくなり、姉に怒ったり、友達に八つ当たりメールを出してしまい、自己嫌悪で最悪でした。
なのであまり、この一週間のことは思い出したくありません。

何が辛いのか、自分ではそのときよくわかっていませんでした。
でも、今思い返すと、私は平塚の母の自宅へ行くのがほんとうに怖かったのだと思います。
最後にあの家を出たときは、母といっしょでした。
闘病のためとはいえ、新しい部屋へ引越しをする希望にあふれて、母と二人でドアを閉めた。
その家に、この5ヶ月閉め切ったままのあの家に、今度は母不在で行く。
それが、ほんとうに私は辛かったのだと思います。

引越し屋を送り出したあと、平塚に向かう途中、私はほとんど暴力的に眠りたくなりました。
姉が横でいろいろ話しかけても、耳に入らない。
このまま眠ってしまいたい。
平塚の母宅に向かう道を歩きながら、自分の心が2メートルくらい浮き上がったような、非現実的な感じがしました。
ただただ、何かに助けてもらいたくて、夢うつつのような気持ちで花を探しました。

これまで、花を見るたびに母を思い、友人を思い、祈ってきた私です。
それでも昨日は、私は誰のためにも祈れなかった。
助けて、って思いながら、通りすがりのアサガオを見た。
ほんと、死ぬかもって思った。

それでも、無事に荷物の搬入もすみ、姉と二人で飲んだあたりで心がずいぶん楽になりました。
姉と私は、性格も趣味もまったく違っているけれど、母のことについて、いちばん精神的にわかりあえるのはやっぱり姉なのでした。
「肉親」でしか、こういうことはわかりあえない。
だから姉を産んでくれた母に、父に、いまさらながら感謝しました。


そして明くる今日は、ほんとうにひさしぶりの100%休日!!
ほんとに、何ヶ月ぶりだろう?
念願の朝寝坊をして、都心で仕事のある夫といっしょに外出。
ワタリウム美術館で野鳥(たぶんエナガ)のクリップを買ったり、夫が写真を撮るのにつきあったり、20年ぶりくらいに通った原宿の竹下通りでクレープ(20年前はこれが基本だったから!)を食べたり。
こういう、普通の休日が、ほんとに私はやりたかったんだな~。
by sima-r | 2008-09-15 20:37 | Mother

感情の記録について

最近、死についてよく考えるようになった。
母を看取ったことで、死が必ずしも悪いものではないということを私は学んだ。
というより、「死」それ自体は良くも悪くもないのだということが感覚でわかった。
ただ、そこに至る道が険しい場合があることから、死を忌まわしいものと皆思ってしまうのだろう。

今思い返しても、母の死は、それは美しいものだった。
喜びの気配さえ、その場には立ち込めていた。
何か大きな奇跡が起きたような、神の息吹が通りすぎたような、祝福の気配。
事実、母は笑っていた。
嬉しくてたまらないように、「なんて自由!」という声さえ聞こえそうなくらい、母の最期の顔は輝いていた。

だから私は、そのとき悲しくはなかった。
母の、「門出」であると思った。
だから葬儀社から渡された通りいっぺんのFAXの”訃報”を送ることに違和感を感じて、送付状をつけ、そこに「門出」という言葉を使った。
湿っぽく陰気な死ではなく、明るく輝いた死であると、そこで伝えたかった。

それなら、母の死後、どうして私はあんなにも落ち込んだり悲しんだりしたのだろうと、最近ずっと考えている。
こうしてわざわざ誰が読むともしれない場所で日記を公開しているのも、自分がそのとき何を感じ、何が辛く、どうやって回復していくのかを記録して、さらにそれを自分の親しい人たちに知ってほしいと思ったからだ。

感情は、すぎてしまうともうリアルには思い出せなくなる。
辛かった、という記憶は残っても、その辛さは必ず風化する。
私はそれを風化させたくなかった。
いつでも取り出して、もう一度眺めたかった。

こうやってだらだらと感情の記録をすることは、もう7年、場所を変えつつも日記をWEB上で書き続けてきた習性から来るのかもしれない。
私は、何もかも忘れたくない。
時間はとどめられないけれど、自分がそのとき、何をしてどう感じたかを、私は思い出したい。
できればもう一度、ありのままに感じたい。
それができないからこそ、忘れるからこそ人は生きていけるのだとは思うけれど、それでも。

私はそうやって、もう一度生きようと思っているのかな。
答えは出ないまま、私はこうして、今日も日記を書くのです。
by sima-r | 2008-09-09 21:49 | Mother

四十九日

四十九日は無事に終了しました。

法事にあまり出たことのない私は、ましてや主催することなど生まれて初めてだったので、いくら身内だけとはいえ2日前くらいから段取りを考えすぎて眠れないわ動悸は止まらないわで緊張した時間をすごしました。
でも、スペシャルハズバンドの活躍により当日は非常にうまく進行し、お坊さんも非常にさばけた母と気の合いそうな方で、肩の荷がひとつ下りた気持ちになりました。

法要後、母宅の引越が三連休に決まったので、母宅から自宅へ送るものを選別して発送したり、トイレの工事やらスカパーのアンテナ外しやら引越見積やらでてんやわんやとなりながら夜帰宅。
重いものをかなり運んだので、先週階段で転んで強打した腰の骨がちょっと嫌な痛み方をするようになってしまいました。

しかしただでさえ狭い部屋に母の荷物がどっさり来てしまったので、今後はちょっと本格的に片づけをして、自分達の暮らしを再建することを主眼にしたいと思います。


今日は一日、ブルーハーツの「月の爆撃機」が頭の中で鳴っていました。
私はたぶん、どっかに逃げて休みたいのだろうなあ。
by sima-r | 2008-09-08 21:34 | Mother

親のマイルストーン

土曜はROSSAの田中さん&渡辺さん、シカゴから帰国中のSさんが、母宅へお線香を上げに来てくれたのだった。
西八王子のアルカディアつながりの方々なので、その頃のめちゃくちゃ楽しそうな写真をいろいろ見てもらう。
詩の朗読会とか、旅行とか仮装パーティ(これがほんとう~にすごい!)とか。

そういうことが「供養」になる気が、私はずっとしていた。
誰かとの楽しい思い出を、残った人たちで懐かしむ。
誰かがそのとき、確かにそこにいたことを思い返す。
そういうとき、きっとその人はそこに戻ってくるのではないか。
母が「どこにでもいるよ」と答えたあの言葉は、そういうことだったのではないか。

今回は、母の詩友だった瀬沼さんのお墓参りにも行くことになっていたので、西八王子に移動して、Hさんと合流。
瀬沼さんが12年前交通事故で突然亡くなったときのことを、私も覚えている。
母はとてもショックを受けていた。
遺稿詩集を出すために瀬沼さんの部屋に入った時のこと、瀬沼さんをはねた車がどんな車だったのか、瀬沼さんに会ったことのない私にもよく話していた。

Hさんの案内によるとてもおいしいお蕎麦と天麩羅の昼食後、お墓参りへ。
雨が降ったりやんだりの天気だったのだけれど、ちょうどその時はやんでいた。
Hさんがてきぱきとお墓参りの準備をしてくれて、その手慣れた雰囲気に、Hさんがこれまでに経験した痛みを思う。
「少しでも花が長持ちしてほしいから」と言う言葉が、私の今の母の花への思い入れに重なって重く響いた。

そしてお線香を上げた後、田中さんと渡辺さんが、瀬沼さんのために曲を弾いた。
川沿いの、山に抱かれたような静かな墓地。
墓石はみんな雨上がりで濡れていて、ほかに誰もいなかった。
曲は、「海沿いの街」と「雨」の2曲。
蝉時雨の中、田中さんのまさに雨のようなギターと、渡辺さんのつやつやしたバイオリンの音が響く。
弾きながら、田中さんは瀬沼さんのお墓を何度も見返った。
瀬沼さんを「心の兄」と思っていると言った田中さん。
これはほんとうに、何よりのお墓参りだと思った。
故人を思って音楽を捧げるなんて、なんて素晴らしい!
雨で絶対に太陽なんて出ないと思っていたのに、お寺を出る時にはうっすら日が差して青空まで顔を出していた。

その後、駅まで戻って、アルカディアの常連のナオさんの開いたネパールカレーのお店、奈央屋へ。
ものすごーくいい雰囲気のお店。
残念ながらお昼の天麩羅でおなかがいっぱいだったのでカレーは食べられなかったけれど、小皿料理がとても気が利いていておいしかった。

途中でシバさんが入ってきて、電話でしか話したことのない私はちょっと人見知りをしてしまった。
でも、田中さんがちょうど誕生日の翌日だったことからシバさんが話していた、年を取ることの哲学?がとてもよかった。
最近ほんと、人生の先輩の話が身にしみるなあと思う。
田中さんと渡辺さんの年齢観も聞けて、とてもよい時間だった。


この日を通じて私が考えたこと。
それは、子というのは、親を知らなくてはならないということ。
それも家族としての親ではなくて、一人の人間としての親を知ることじゃないかと思った。
親がほんとうはどんな人なのか、子には見せないどんな部分があったのか、そういうことを知るのって面白いと思う。

そう思ったきっかけは、Sさんと話していたときに、Sさんが私の父の書いた本のことを知っていたことだった。(Sさんが博学というのをさしおいてもびっくりした)
ほんとにどこでどう、人生が交錯するのかわからないものだなあ。
たとえ親が本なんか出していなくても、子にとって、親の仕事での顔、友達同士だけのときの顔を知るのは良いことだと思った。
親もまた、自分と同じように悩んだり、楽しいことをしたりしていた。
それを「家族」というフィルターを取っ払って見ることは、どういいことかうまく言えないけれどいいことだと思う。

生きるということは歴史だから。
どんな道を歩もうと無駄なことはないのだから、親の歩んだ道を客観的に眺めること。
そしてその親の歴史の中で、マイルストーンのように現れるものが、子である自分であるということ。
言葉にするとあまりにも当たり前のことだけれど、ほんとの意味で腑に落ちた。
そんな一日だった。
by sima-r | 2008-09-01 20:58 | Mother

回復と想像力について

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』読了。

ようやく、「母は死んだのだ」と、頭の切り替えができてきた気がする。
そのきっかけが、伊坂の本を読んだことだ。
いや、伊坂でなくても、「小説」を読んだことが、私にとってはある転機だったのだと思う。

母の状況が厳しくなるにつれて、本がどんどん読めなくなった。
読む本といえば、がんの本、ホスピスの本、死生学の本ばかり。
気持ちが追いつめられるにつれ、小説がまず読めなくなった。
そしてまんがも読めなくなり、音楽しか聴けなくなり、やがて何もできなくなった。
どん底まで行った。

それと同じ順で、私は回復しているのかなと思う。
最初に音楽がやってきて、まんがを読めるようになり、そして小説を読みたくなった。

小説は、想像力だから。
たぶん、人は追いつめられると「想像力」をなくしていくんだと思った。
生きるだけで精一杯になったとき、現実を処理するだけで手一杯になったとき、人は想像力をなくすのだと思う。
動物が極限状態になると、まず生殖能力をなくす。
女なら生理が止まり、男なら不能になる。
それと同じで、たぶん心では、想像力が切り捨てられるのだと思う。

だから、小説を読む、ということは、私にとってほんとうに大切な儀式だったのだ。
読み終えてわかった。
この、何かを取り戻した感じ。
自分の手が帰ってきた感じ。
by sima-r | 2008-08-30 10:25 | Mother

Music From Big Pink

やっぱり、仕事は精神安定にいいのかもしれません。
仕事復帰3日目、やっと食事がまともに食べられるようになりました。
昼食の仕出し弁当は揚げ物なども容赦なく出るので(しかもこの物価高だし)、揚げ物もなんとか食べられるようになりました。

母がどんどん食べられなくなったとき、私も食が細りました。
母が食べたがらないものは、私も食べられなくなりました。
まず揚げ物がだめになり、肉がだめになり。
主食の白飯が食べられなくなり(これは今も少し続いています)、なんとか口に入るのは寿司か素麺か、という感じになりました。
母がいちばん遠い国に旅立ってしばらくは、一日に一食を無理やり食べるくらいで、あとは液体のカロリーメイトみたいなものを無理に飲んでいたくらいでした。
当然ながらどんどん痩せて、自分も膵臓がんなのかとかちょっと疑ってしまったりして。

母が旅立ってもうすぐ一ヶ月。
たまたま開いたガン患者の家族向けの本に、愛する家族を失った人のたどる心のありようが書かれていました。
そうしたら、こうやって病人と同じように食が細って痩せてしまい、自分も同じ病気じゃないかと心配するケースはとてもよくあるケースのようでした。

私は多分、母と自分を同一視しすぎたのだろうな。
私は、母と根本的なところの性格が同じで、母の思うことしてほしいことが手に取るようにわかる娘だったから。
だからこそ、自分の自我を形成しなくてはならなかったあの若い時代、母があれほど眩しく妬ましく、そしてまた疎ましくもあったのだろう。
母もまた、自分によく似た娘を手元に置きたくて、だからこそあれだけ、私たちは苦しんだのだろうな。

その因果を、解けずに終わる家族もある。
私と母は、その因果を最後に解きほぐすことができました。
それはこれまで私の人生のいちばんの課題だったから、なんだか私は、これから先どんなことも怖くないような気さえしているのです。


***

・・・ということを、今日ずっとJohnnyさんが教えてくれた「The Band」の「Music From Big Pink」というアルバムを聴きながら考えていました。

なんだか、雨みたいなアルバム。
雨の日、濡れた窓ガラスを通して外を見てる、秋か冬の日みたいな曲たち。
辛いことがあったけれど、いま自分は安全なところにいて、仲間がいて、焚き火がたかれ、肩をたたいてくれている。
そんな曲たち。
Tears Of Rage、In A Station、Caledonia Mission、The Weight、Long Black Veil、そしてLonesome Suzie。
今日みたいな雨の日、この曲たちに出会えてよかったな。
特にThe Weightは、ほんと今の気持ちにぴったり来る感じ。
私は、ほんとにすごい「Weight」を無理して持っていたのだなあと改めて思いました。

ラモーンズの明るさは、今日はいらなかった。
あれは、夏のカッと暑い日、どうにもやりきれないときに、「ぶっとばしてぶちかまして」やりたいときにはいい。
今日は雨だから、そして夏はもう終わってしまいそうだから、雨の曲を聴いて、それで私はまたちょっと元気を出すのです。
by sima-r | 2008-08-26 23:36 | Mother


るい 33歳女子。
<家族> 
夫 (スペハズ)
息子(ピースケ)
猫 (おひげ)
今日のピースケ
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