死ぬまで生きているということ
火曜日、ようやく母関係の書類の整理に手をつける。
母の闘病のために借りた部屋の引越しなどもあったので、書類がしっちゃかめっちゃかになっていたのだった。 種類別にしてファイリング、不要のものは処分する。 レシート類の仕分けをしていたら、当時買ったものからそのときの情景がなまなましく思い出されてきつい。 「ショクブツ」という品名ばかり並んだ、長いレシートがあった。 引っ越し先の庭に植えるため、母と夫と3人で、花の苗を買いに行ったときのものだ。 そのとき母が、どれだけ真剣に花を選んでいたか。 母は、祖母の作った服を着て、沖縄のあきちゃんが送ってくれた帽子をかぶっていた。 雨で、傘を差しながら、カートの中にたくさん苗を入れていった。 白、紫、ピンク、水色。 小さい苗たちは、雨に濡れてかわいらしかった。 帰りの車の中は、花の甘い香りがしていた。 母はもういない。 あの花もあの庭も、今はもうない。 レシートに並んだ文字が、あれは夢ではなかったと思い出させるだけで。 母は、自分の住むところをいつも母らしくできる人だった。 高価な家具を置くわけではないのに、古い家具や布をうまく使って、居心地いい空間に変えていた。 沖縄に住んでいたころに集めた貝殻をガラス瓶や大皿に盛って飾ったり、流木を利用して花瓶かけを作ったり。 各国を旅行して少しずつ集めたクッションカバーやお面や人形なども、ひとつひとつは個性的なのにそれぞれうまく調和させていた。 母は、最後に住んだあの部屋を、だからいつものように自分の色に染めようとした。 引越しの前日まで、持っていくものと置いていくものの選別を母は自分でした。 ココナツの殻に入った絵筆、金子光晴の本、ドライフラワー、たくさんの花瓶。 インドネシアの人形、紙粘土で作った星型の飾り。 ひらたい貝がらに盛られたシーグラス。 母自身はたった1ヶ月も住めなかったあの部屋を、母はぎりぎりまで居心地よくしようとした。 最後の瞬間まで、母はずっと母らしかった。 母らしくなくなることはなかった。 ひどい幻覚を見るようになっても、すっかりやせてしまっても。 生まれたものは、たとえ終わりがもうすぐとわかっても、その生の終わりの瞬間まで生きようとするのだな。 死ぬまでは生きている。 生きている間は、絶対に死ぬことはない。 その命のぎりぎりまで、その個性のまま生き抜く。 言葉にしたら当たり前のように聞こえるけれど、私はたしかに、それを母から教えられたのだ。 動けなくなり、しゃべれなくなっても、母は、母そのものとなって生きていた。 どんどん余分なものがなくなって、母の芯のようなものとなって。
by sima-r
| 2008-11-12 23:14
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るい 33歳女子。
<家族> 夫 (スペハズ) 息子(ピースケ) 猫 (おひげ) 今日のピースケ
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