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生活チープサイド

感情の記録について

最近、死についてよく考えるようになった。
母を看取ったことで、死が必ずしも悪いものではないということを私は学んだ。
というより、「死」それ自体は良くも悪くもないのだということが感覚でわかった。
ただ、そこに至る道が険しい場合があることから、死を忌まわしいものと皆思ってしまうのだろう。

今思い返しても、母の死は、それは美しいものだった。
喜びの気配さえ、その場には立ち込めていた。
何か大きな奇跡が起きたような、神の息吹が通りすぎたような、祝福の気配。
事実、母は笑っていた。
嬉しくてたまらないように、「なんて自由!」という声さえ聞こえそうなくらい、母の最期の顔は輝いていた。

だから私は、そのとき悲しくはなかった。
母の、「門出」であると思った。
だから葬儀社から渡された通りいっぺんのFAXの”訃報”を送ることに違和感を感じて、送付状をつけ、そこに「門出」という言葉を使った。
湿っぽく陰気な死ではなく、明るく輝いた死であると、そこで伝えたかった。

それなら、母の死後、どうして私はあんなにも落ち込んだり悲しんだりしたのだろうと、最近ずっと考えている。
こうしてわざわざ誰が読むともしれない場所で日記を公開しているのも、自分がそのとき何を感じ、何が辛く、どうやって回復していくのかを記録して、さらにそれを自分の親しい人たちに知ってほしいと思ったからだ。

感情は、すぎてしまうともうリアルには思い出せなくなる。
辛かった、という記憶は残っても、その辛さは必ず風化する。
私はそれを風化させたくなかった。
いつでも取り出して、もう一度眺めたかった。

こうやってだらだらと感情の記録をすることは、もう7年、場所を変えつつも日記をWEB上で書き続けてきた習性から来るのかもしれない。
私は、何もかも忘れたくない。
時間はとどめられないけれど、自分がそのとき、何をしてどう感じたかを、私は思い出したい。
できればもう一度、ありのままに感じたい。
それができないからこそ、忘れるからこそ人は生きていけるのだとは思うけれど、それでも。

私はそうやって、もう一度生きようと思っているのかな。
答えは出ないまま、私はこうして、今日も日記を書くのです。
by sima-r | 2008-09-09 21:49 | Mother
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