親のマイルストーン
土曜はROSSAの田中さん&渡辺さん、シカゴから帰国中のSさんが、母宅へお線香を上げに来てくれたのだった。
西八王子のアルカディアつながりの方々なので、その頃のめちゃくちゃ楽しそうな写真をいろいろ見てもらう。 詩の朗読会とか、旅行とか仮装パーティ(これがほんとう~にすごい!)とか。 そういうことが「供養」になる気が、私はずっとしていた。 誰かとの楽しい思い出を、残った人たちで懐かしむ。 誰かがそのとき、確かにそこにいたことを思い返す。 そういうとき、きっとその人はそこに戻ってくるのではないか。 母が「どこにでもいるよ」と答えたあの言葉は、そういうことだったのではないか。 今回は、母の詩友だった瀬沼さんのお墓参りにも行くことになっていたので、西八王子に移動して、Hさんと合流。 瀬沼さんが12年前交通事故で突然亡くなったときのことを、私も覚えている。 母はとてもショックを受けていた。 遺稿詩集を出すために瀬沼さんの部屋に入った時のこと、瀬沼さんをはねた車がどんな車だったのか、瀬沼さんに会ったことのない私にもよく話していた。 Hさんの案内によるとてもおいしいお蕎麦と天麩羅の昼食後、お墓参りへ。 雨が降ったりやんだりの天気だったのだけれど、ちょうどその時はやんでいた。 Hさんがてきぱきとお墓参りの準備をしてくれて、その手慣れた雰囲気に、Hさんがこれまでに経験した痛みを思う。 「少しでも花が長持ちしてほしいから」と言う言葉が、私の今の母の花への思い入れに重なって重く響いた。 そしてお線香を上げた後、田中さんと渡辺さんが、瀬沼さんのために曲を弾いた。 川沿いの、山に抱かれたような静かな墓地。 墓石はみんな雨上がりで濡れていて、ほかに誰もいなかった。 曲は、「海沿いの街」と「雨」の2曲。 蝉時雨の中、田中さんのまさに雨のようなギターと、渡辺さんのつやつやしたバイオリンの音が響く。 弾きながら、田中さんは瀬沼さんのお墓を何度も見返った。 瀬沼さんを「心の兄」と思っていると言った田中さん。 これはほんとうに、何よりのお墓参りだと思った。 故人を思って音楽を捧げるなんて、なんて素晴らしい! 雨で絶対に太陽なんて出ないと思っていたのに、お寺を出る時にはうっすら日が差して青空まで顔を出していた。 その後、駅まで戻って、アルカディアの常連のナオさんの開いたネパールカレーのお店、奈央屋へ。 ものすごーくいい雰囲気のお店。 残念ながらお昼の天麩羅でおなかがいっぱいだったのでカレーは食べられなかったけれど、小皿料理がとても気が利いていておいしかった。 途中でシバさんが入ってきて、電話でしか話したことのない私はちょっと人見知りをしてしまった。 でも、田中さんがちょうど誕生日の翌日だったことからシバさんが話していた、年を取ることの哲学?がとてもよかった。 最近ほんと、人生の先輩の話が身にしみるなあと思う。 田中さんと渡辺さんの年齢観も聞けて、とてもよい時間だった。 この日を通じて私が考えたこと。 それは、子というのは、親を知らなくてはならないということ。 それも家族としての親ではなくて、一人の人間としての親を知ることじゃないかと思った。 親がほんとうはどんな人なのか、子には見せないどんな部分があったのか、そういうことを知るのって面白いと思う。 そう思ったきっかけは、Sさんと話していたときに、Sさんが私の父の書いた本のことを知っていたことだった。(Sさんが博学というのをさしおいてもびっくりした) ほんとにどこでどう、人生が交錯するのかわからないものだなあ。 たとえ親が本なんか出していなくても、子にとって、親の仕事での顔、友達同士だけのときの顔を知るのは良いことだと思った。 親もまた、自分と同じように悩んだり、楽しいことをしたりしていた。 それを「家族」というフィルターを取っ払って見ることは、どういいことかうまく言えないけれどいいことだと思う。 生きるということは歴史だから。 どんな道を歩もうと無駄なことはないのだから、親の歩んだ道を客観的に眺めること。 そしてその親の歴史の中で、マイルストーンのように現れるものが、子である自分であるということ。 言葉にするとあまりにも当たり前のことだけれど、ほんとの意味で腑に落ちた。 そんな一日だった。
by sima-r
| 2008-09-01 20:58
| Mother
|
るい 33歳女子。
<家族> 夫 (スペハズ) 息子(ピースケ) 猫 (おひげ) 今日のピースケ
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