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生活チープサイド

やがて地に落ち、芽吹くように

通夜と告別式が終わりました。

たくさんのことをやったのと、たくさんのことを感じすぎて、今はうまく言葉が出てきませんが、忘れたくないことがたくさんありました。

この2日間で、私がずっと肝に銘じていたこと。
それは、母の名に恥じぬよう喪主を務めること、そして、姉を護ることでした。

姉は、まだ母の死を受け止めきれていません。
母の死は、ほんとうにほんとうに安らかで、美しいものでした。
呼吸が止まったことにも気づかないほどでした。
ずるいくらい、うらやましいくらい、かっこいい旅立ち方でした。

それでも私は、母の呼吸がとまったときの姉の慟哭を、忘れることができません。
迷子になった幼い子が、必死で母親を呼ぶようなその声。
それと、斎場で起きたさまざまなことを、姉はまだ消化できていません。
私はそれを、全力で支えようとしたけれど、「いもうと」は妹としてしか支えられないのでした。

このときほど、自分が男でありたかったことはありませんでした。
男を支えるのに女が必要であるように、女である姉を支えるために、私は男でありたかったと、強く強く、母が焼かれている間に思っていました。
それは、この世に二つの性がある意味を、理屈でなく納得する出来事でもありました。


通夜では、原満三寿さんから言葉をいただきました。
その後、通夜ぶるまいの際に原さんとそっと式場に戻り、母の顔をお見せした時、原さんは母を、「僕のガールフレンド」と、声をつまらせながら言ってくれました。
母との30年以上もの友情を、これほど伝えてくれる言葉はなく、私は嬉しくて泣きました。

それ以外にも、たくさんの方とお話ししました。
電話番号しかわからない方が多かったので、通夜の前日と前々日は、受話器を当てすぎて耳が痛くなるほど電話もしました。
たくさんの母がそこにはいて、たくさんの、大切な言葉をもらいました。

通夜では、私はどうしても、また「残酷な果実」を朗読したかったので、抜粋して朗読しました。
第六詩集『so alone』で、母が求めて求めてやまなかった「愛」、そして「家族」。
それを母が最後に取り戻したことを、どうしても、どうしても、集まってくださった方々に、自分の言葉で伝えたかったのでした。
「摘み取ったらもうもとに戻れない」と母は詩の中で書いていたけれど、でも、果実であれば、いつか地に落ち芽吹き花が咲く。
それを、魂となった母にも伝えたかったのでした。

告別式では、原さんと同じく母の旧友である暮尾さんと、阿賀さんから言葉をいただきました。
暮尾さんは、「十条の商店街」で、昨夜は母を偲んで飲んでいたと、さようならは言わないと言ってくれました。
阿賀さんも、声を詰まらせながら、母に対する想いを伝えてくれました。
そのほか、焼香してくださった方々の中に、何人もこの4ヵ月半の闘病の中で出会った方々がいて、そういう方が見えるたびに目頭が熱くなりました。

出棺の挨拶で、私は、母には人と人を結びつける才能があったと思う、と言いました。
この4ヵ月半で、私は本当にさまざまな人に出会って、助けていただきました。
それは、母が、命の炎を燃やし尽くしながら、最後に私たち姉妹にその才をふるって巡り合わせてくれたのだとしか思えません。
奇跡のようなことが、ほんとうに何度も起きました。
ありえないくらいのつながりが、母を通じて起きていました。
それは、母が、すべてをふりしぼって、私たちに遺そうとしてくれた「縁」なのだと思います。

人との縁は、だから本当に宝なのだと思います。
どんな些少な縁でも、どこかでつながっていく。
人生に無駄なことはひとつもない。

今回、私は母の件とは別に、とても辛い体験をしました。
この体験ですら、きっとどこかにつながっていく。
今は辛くとも、いつか実となり、芽吹くこともあるのでしょう。
それを信じようと思います。
by sima-r | 2008-08-05 02:16 | Mother
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by sima-r
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