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生活チープサイド

Feed ~ 流れとともに行く

母が昨日、緊急入院しました。
恐れていた黄疸が出てきてしまったのと、腹水がたまり始めているためです。
通常の通院として外来に行ったので風邪引きの私はついておらず、いろいろな手続きはすべて姉がやってくれました。

その報がちょうど入ってドタバタしているとき、よっちゃんが夕飯を作りに来てくれました。
よっちゃんはいつも、人がいちばん必要としているものが自然にわかる才能がある人だと思う。
ちょうど、まきつんから辰巳芳子先生の「命のスープ」のことを前日に教えてもらったばかりで、辰巳先生の本を買わねば!と思っていた私に、はい、とよっちゃんが手渡してくれたもの…。
それが「いのちをいつくしむ 新・家庭料理」(辰巳芳子著)という本で、そのテレパシー具合にびっくりしました。
たぶん、彼女が来てくれなかったら、私にとって昨日は不安と自責の日でしかなかった。
だから、ご飯を作るよっちゃんに、まるでお母さんのスカートにまとわりついてその日のことを話す幼児みたいに、近くに座布団をもっていって、立ち働く彼女を見ながらたくさん話をしました。

***
それで思い出したこと。
私が最も好きな本ベスト3に入る本に、よしもとばななの『アムリタ』があります。
そこの、「Feed」ということについて主人公の朔美が実感する場面を最近よく思い出します。
子供の頃、あたりまえのように空気のようにあった家族の風景。
ごはんを作っているお母さんの後姿。
それが「Feed」ということなんだ、ということ。
それをこのところものすごく実感として思うので、そしてその想いを残しておきたいので、引用します。

----下記『アムリタ』より抜粋引用----

 Feed、これがそういうことだ。私は知ってる。私の体は覚えてる。何もかも失われても、こうして覚え続けている。みんなそうだ、たいていの人にお父さんとお母さんがいて、刻まれている。自分が親になるまではめったに思い出さないけれど、記憶は生きている。死ぬまで。たとえお父さんやお母さんが死んで、家がなくなっても、自分がおばあさんになっても。
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アムリタは、もう読み返しすぎて登場人物たちが私にとっては家族のようになってしまっているのですが、たった2ヶ月前とはまたこの文章の重みが違っています。
それでも、母との関係が今とは全然違っていた2ヶ月前以前でも、私はこの文章がいつもとても気にかかっていたのでした。

私も、これを読んでいる大部分の人も、みんな「Feed」されて育った。
そして人は、いちばん弱ってしまったとき、みんな「Feed」されることを求めるのだと思います。
高熱に浮かされているときに額にあてられるひんやりした手、全部大丈夫だよ、って、無言で肯定してもらうようなことを。

そしてこの間、よっちゃんからもらったお守り。
イスラエルのハムサというそのお守りに与えられた名前は、「流れと共に行く」というものなのでした。

流れとともに。
まさに、今の私たち家族そのもののような言葉な気がする。
人生には大きな流れがあって、私たちは今それに翻弄されている。
逆らおうとしても逆らえない、大きな大きな自然の流れ。

でも、きっと、この流れに乗って進めば、きっと何かがわかるのだと思う。
辛いことや悲しいこと、苦しいこと嫌なこと、それもこれもいっしょくたに含めたもっともっと大きな何か。
怖くてたまらないし、今でも希望は持ち続けているけれど、きっとそれも含めた大きな大きな流れ。

だから、この流れを無理やりねじまげたり、偽ったりしないで、私はこの流れとともに、その向こうにあるものを見届けたいと、見届ける勇気を持ちたいと思うのです。
by sima-r | 2008-05-21 21:11 | Mother
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by sima-r
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