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生活チープサイド

子宮外妊娠のこと

2/3から2/15まで、入院をしていました。

理由は、子宮外妊娠のためでした。

妊娠がわかったのは、1/20のこと。
うれしくて、さっそくその日に水天宮に夫とお参りに行って、毎日写真を撮ろうねと言っていた。
仕事に行っても嬉しい秘密ができたような感じで、おなかがほんのり温かいのも、おなかが空くと吐き気がするのも嬉しかった。
でも、その4日後から出血が始まり、これは流産になるかもしれないと思った。

妊娠初期の流産はよくあることで、10人に1人以上が流産するということも知っていたけれど、それが自分の身に起こるかもしれないと思うと、本当に悲しかった。
理屈ではなくてただただ悲しくて、そのときに、私は生き物がいないとだめなのだと思い知った。
病院から帰って、1人で泣いているとき、今ここに動物さえいてくれたらと思った。
これまでにも辛いことはあったし、生きるのもしんどいような思いをしたこともあるけれど、ここまで切実に辛かったことはなかった。

あまりに悲しすぎると、人には言えなくなるものなのだということも知った。
「流産」と口にしたら、本当になってしまうような気がした。
基礎体温表の備考欄に、毎日出血のことばかり書くのがつらかった。
妊娠本を読みあさり、流産の項目を暗記するほど読んだ。
ネットで流産のことを調べ、出血があっても無事に妊娠継続できた体験談を必死で探した。
少しでも希望が持てることが書いてあると心は舞い上がり、だめだったのを読んでは泣いた。
流産予防にいいとあればビタミンEや葉酸のサプリを飲み、3食完璧な食事を作った。
なんでもしたかった。
1週間があんなに長かったことは、今までなかった。

2月3日が6週目にあたる日で、その日に子宮内に赤ちゃんが見えなかったらおかしいのだと言われた。
その日、夫と病院に行くと、やはり子宮に赤ちゃんは見えなかった。
流産か、可能性は低いが子宮外のこともあるので大病院に行けと言われ、その足で紹介状を書いてもらった大病院へ行った。
すると、腹腔に血がたまっており子宮外妊娠の可能性が限りなく高いという診断で、そのまま緊急入院することになったのだった。
あれよあれよというまに車椅子に乗せられ、レントゲンを撮り心電図をはかり採血された。
いつでも手術できるよう禁飲食が言い渡され、1週間近く点滴だけの生活になった。

子宮外妊娠は、子宮以外の卵管などの狭いところでどんどん赤ちゃんが育ち、卵管がそれに耐えられなくなって破裂すると大出血となり、母体の命も危うくなるものなのだそうだ。
私の場合は、出血は続いていたけれど痛みも強くはなく、おそらくは子宮外妊娠したが流産したのだろうということだった。
体内に妊娠してできた組織がなくなれば、妊娠ホルモンも少なくなり、それがゼロに近づけば開腹手術はしなくてすむとのことだったので、子宮内のものを掻きだす手術を受けた。
それでもホルモン値は下がらず、CTの写真の右の卵管のあたりに何か丸いものが見えた。
これはやはり手術をしなくてはならないということになり、2/9に開腹手術をし、右の卵管を切除したのだった。
切除した卵管は、ボールペンくらいの太さの管の途中が、ピンポン玉くらいにふくらんでいた。

子供がほしいと思えるようになるまで時間がかかった私にとって、卵管がひとつなくなるというのは、やはり大きな決断だった。
やっと、やっとほしいと思えるようになったのに、神様はなんてひどいことをするのかと思った。
それでも、左の卵管はまだ残っているし、卵巣はまだふたつある。
不安はたくさんあるけれど、今はからだを治して、早く健康になることだけを考えようと思っている。

退院する日、年配の看護婦さんに呼び止められた。
「残念だったわね」と言われた。
その看護婦さんの娘も流産してしまったのだけれど、私も受けた子宮をきれいにする手術をして、今妊娠5ヶ月なのだそうだ。
子宮をきれいにする手術をした後は、妊娠しやすくなるのだとも聞いた。

2週間近く入院して、病院の人から、私の赤ちゃんがだめになってしまったことを「残念だった」と言ってもらえたのはその人からだけだった。
皆、いい人たちだったけれど、子宮外妊娠という「病気」の人としてしか見てもらえなかった。
違うのだ、私は病気だったんじゃないのだ。
私は、短い間だったけれど、「お母さん」だったのだ。
初めての妊娠で、楽しみにしていた妊娠で、赤ちゃんが死んでしまったのだ。

ネットで、子宮外妊娠や流産をキーワードにして探すと、驚くほどたくさんの人が、このことで悲しんでいることがわかる。
掲示板には、流産の不安に悩む人が毎日新しく現れる。
これほど辛いことが、こんなにもたくさんの女性に起こっている。

産んであげたかった。
抱いてあげたかった。
切り取った卵管も、出血も、子宮内から掻きだしたものも、何も怖くなかった。
できることなら、赤ちゃんを飲みこんで、もう一度産んでやりたいとすら思った。


だから本当に、産まれてくる赤ちゃんは奇跡なのだ。
10ヶ月、子宮の中で育まれ、生きて、健康で、この世に出てくるというのは、なんという大きな奇跡なのだろう。
今おなかに赤ちゃんがいる人、これから持ちたいと思っている人すべてに、トラブルなく元気な赤ちゃんが産まれることを祈る。
1人でも、私のように悲しい思いをする人がいなくなるといい。
全部がうまくいって、不安な思いもすべて笑い話になるような、そんな奇跡が、誰にも起こるようになればいい。
by sima-r | 2007-02-19 17:47 | Maternity
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日々思うこと。

by sima-r
るい 33歳女子。
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