生活チープサイド

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Life is Beautiful!!

今朝6時15分、母はこれまででもっとも遠い旅に出ました。

最期まで安らかに、姉と私と私の夫の3人に見まもられながら、旅立つことができました。
窓の外の木々に夏の朝日が照り映え、爽やかでした。

旅立ちには絶好の天気。
そして折しも今日は、当初詩集が刊行される予定日でした。

我が母ながら、見事な生き方であり、死に方でした。
母の詩集の表紙見返しに、私は、「梅田智江は、生き方そのものがまた稀なる作品である」と書きました。

まさにそれを、母は命をかけて、私たちに見せてくれました。
あっぱれ、我が母。
そして、本当にありがとう。
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by sima-r | 2008-07-31 14:53 | Mother

母の軌跡

今日は昼間、某大手書店の文芸ジャンルの仕入を統括している友人Oちゃんと電話。
Oちゃんは友情に厚い人なので、いろいろ書店への営業の仕組みとかを教えてもらっているのです。
ハードな仕事で、本当に本当に大変そうなのだけど、それでも、いっしょに母の詩集を売っていこうね、という彼女の気持ちにじーんとしました。
Oちゃんもお祖母さんをガンで亡くしているので、今の私の状況をよくわかってくれました。

本は、作っても、書店に並ばなければ出会えないから。
ある日どこかで母の詩集を手に取った誰かが、それを生涯の書にしてくれたら、そんなに嬉しいことはないです。
たくさん売りたいとか儲けたいとかいうんじゃなくて、ただ読んでほしい。

詩は人を助けるから。
読んだことを忘れていても、いつか必要な時に、そのフレーズがよみがえる。
私も今回の母の闘病で、ずいぶん宮沢賢治と高見順の詩に救われました。


そして夜、ROSSAの渡辺さん来訪!!
美しいバイオリニストである彼女は、ずいぶん長く母の手を握って、母と過ごした楽しかった思い出を話してくれました。
アルカディアでの母の詩の朗読や、立川の風呂無しアパートに引っ越した引っ越し祝い(6畳の部屋に20人以上が集まったという…)とか、軽井沢に皆で飲みに出かけたこととか。

こうやって母を知っていくことが、これからの私の一つの目標です。
詩人であり、旅人である母が、どのように生き、人と出会ってきたのか。
私は母の、「母」としての顔しか知らなかったから。
そうやって、母の軌跡を辿りながら、私もまた私の人生を生きていこうと思います。
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by sima-r | 2008-07-30 22:47 | Mother

詩と向き合う

母の血圧はさらに下がっています。


母のそばにいると、言葉がまるであふれ出るように体から吹きあがってきます。
私はブログにも書けないようなことは、これまでノートに書いていました。
特に、大学病院に泊まり込みで看病していた時の日記は、ブログに載せるにはあまりにも辛すぎるから。

いま、私はそのノートに詩をつづっています。
私は大学時代に、短歌を書くことに出会いました。
初めて短歌を書く喜びを知った人は誰もがそうだと思うけれど、ヘレン・ケラーが言葉を得たときのように、世界のすべてが31文字であらわせることに感動したものです。

そして今の私は、まるで字を知ったばかりの子供のように、ぐちゃぐちゃとノートに詩らしきものを書いています。
私はこれまで、母という大きな壁があったせいで「詩」ときちんと向き合うことができなかったから。
これは、私にとって、おおきなおおきな進歩です。


すべてが、思い出になるのでしょう。
そしてそのすべてが、これからの私の支えになるのだと思います。
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by sima-r | 2008-07-30 17:19 | Mother

姉を護る

母の血圧が下がり、葬儀のことで確認をしたくて電話をしたら、「会員になるため今から来い」と言われる。
葬儀実務一切のことは夫に任せていたけれど、今日は平日。
たぶん2時間くらいで帰ってこられるけれど、その間に何かあるかもしれない。
迷って迷って迷って、母を見た。
意識はもう、ほんのかすかにしかない。
でも、待っていてくれると思った。信じた。
だから、タクシーで葬儀社に駆けつけ、会員になり打ち合わせまでしてきた。

私はただただ、姉を護りたいだけなのだ。
母は私を許してくれたから、私を褒めてくれたから、だから私はもういいのだ。
自分がぶっ壊れても、私は姉を護る。
どんな矢面にも立ってやる。
喪主だろうがなんだろうが、保険だろうが金がらみの汚い仕事だろうが、なんでもやってやる。
だって、私は母に約束をしたんだ。
Y岸さんと話した日、私は誓ったんだ。

引っ込み思案で、友達を作るのが苦手で、今の世の中では生きるのが辛い姉。
母のことが大好きで、彼氏と会うより母と遊び、相談してきた姉。
その姉が、母を喪ってしまう。
AKIRAさんたちに私は助けてもらったけど、姉はきっとまだ辛い。
私は、それが辛い。

だから、母の旅立ちの時、それを姉がうまく受け止められるように、私は全力で姉を護る。
そのあとも、姉が生きていくのが辛くないよう、頑張って支え続ける。

だって私たちは、母の「命の証」だから。
母の詩集で、母は私たちが誕生したことを「命の証として」出産、と書いてくれた。
私たちは証だ。
母の命を紡いでいく、そうやって人生を生きていくのだ。
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by sima-r | 2008-07-30 00:11 | Mother

ていさんが来る

母の血圧が、50を切りました。
もうすぐ母は自由になって、世界旅行へ出かけていくのかもしれません。


今朝は、坂井ていさんがお見舞いに駆けつけてくださいました。
坂井さんは、私や姉が生まれる前、詩人 金子光晴さんと親交のあった母と、詩人 秋山清さんのつながりで出会ったという、母の古くからの文学の友人です。
着物の似合う、ほんとうに素敵な方で、私は母の病気がわかってから、何度ていさんに助けてもらったかわかりません。
何度もお見舞いに来てくださって、そのたびに母が好きそうな絶妙なセンスの花を持ってきてくれ、私たちへの食事の気配りまでしていただいたのでした。

しかも、母の詩集の校正を、かなり深い部分(金子光晴の引用部分)など、文学者でないとわからないところまで、きちんと見てくださいました。
人間的にもとても素晴らしい人なので、姉と「ていさんみたいな人になろう!」と高望みをしているくらいです。

ていさんは、母の手を取ってキスをして、母の膝もとに長いことひざまずいて力をわけてくれました。
そうしたら、また奇跡が!
母の眼が開いて、ていさんをハグしたのだ!
すごい!本当に母には頭が下がる。


そして私はちょっとまた事務方の仕事へ出かけます~。
今が正念場だ!!!がんばれ俺!
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by sima-r | 2008-07-29 17:38 | Mother

詩集、出版記念会!

母の詩集完成日!!
盛りだくさんだったので、おぼえてるうちにできるだけ書きます。
死ぬほど疲れてるけど、忘れたくない。全部おぼえておきたい。

朝一で、事務仕事をやっつけに銀行へ。
自転車の道すがら、天気雨に降られながら詩集関係者の方々全員へTEL。
解説を書いていただいた暮尾淳さんがあまりに優しくて、校正をやってくださった坂井ていさんがほんとに優しくて、ホスピスの前の道路で泣いてしまう私。
あと会社へ、月末処理の件で根回しTEL。(そのへんは我ながら抜かりない私)

ホスピスへ帰ると、なっつんが手作りサンドイッチとお守りを持って来てくれていました。
この間なっつんが来てくれた時、「また来るよ」って言葉を、私は寂しく聞いていたのでした。
「また」はもうきっとないから。
来週はもう、私たちはここにいないかもしれないから。
そうしたら、出勤前にほんとに「また」来てくれたなっつん!ほんとにありがとう!
なっつんがいろいろ教えてくれたおかげで、母の詩集がいま出せたといっても過言ではないよ!

そして昼、精神神経科へ。
最近裏方仕事で忙しくて眠れない(やるべきことがいっぱいすぎて、目を閉じてもその予習をついしてしまって眠れない)ので、睡眠薬を出してもらいました。
さすがホスピスを抱える病院、対応が早い!
これで今晩からは悶々とせず眠れます~。

14時半、すなハハさんと素直君来訪。
しかし、私は前前々日も前々日も前日も半徹夜で電池切れ寸前。
すなハハさんは、そういうのも全部まるごとわかってくれる人なので、いっぱいハグして力をくれました。
素直君も、たくさんたくさん力をくれました。
しかし母はまだ体調がすぐれないので、ラウンジで姉とお話ししながら待っていただきました。

15時半、母の詩集の文芸編集をお願いしていた堀切直人さんと、右文書院のAさんが待望の詩集を持って来てくれました。
Aさんの尽力により、手作業で製本されたという母の詩集!!素晴らしい出来!!
今日、母に詩集を手渡せたのは、土日にもかかわらず印刷所にかけあってくださったAさんのおかげです。

堀切さんは母の旧友で、著書もたくさん出されているプロの評論家の方です。
電話では何度もお話ししたけれど、直接お話しさせていただいて、母への友情と、そしてプロの目でのきちんとした批評眼で母の作品を見て下さっていたことがよくわかり胸が熱くなりました。

堀切さんは解説も書いて下さっていて、それもまたきっちり母を理解して書いて下さっているので読み応えがあります。
母にも会っていただきましたが、まだ母は体調が思わしくなく、ちゃんと話せなかったぶん、そのぶん私がお話しさせていただきました。
AKIRAさんが来るまで、と思ったのだけれど、お仕事もこの後ありお忙しいお二人なので、名残り惜しくお見送りしました。

そして17時ごろ、AKIRAさん、hideさん、コウヂさんが到着!!
なんかもうもうもう、「家族」に会ったみたいな気持ち。
このホスピスは、ほんとに家庭的で素晴らしいところだけれど、やっぱり知ってる人がいると違う。空気が違う。
しかもこの3人は、祈りライブの時の人達ですから!

そしてAKIRAさんは、母の耳元で歌ってくれました。
優しい優しい声で。
最初の1曲は「リインカネーション」。
AKIRAさんが、間奏の間に私に母の詩を読むよう言ってくださったので、私は母の新しい詩の「いいな」を選びました。
これは、母が「詩人ってものはね、詩としての出来はともかく、新しい詩を入れたいものなのよ」と言って今回直前に収録した作品だったので、母の前で読んであげたかった詩です。

「いいな」(2007.1.15) 梅田智江(うめだ さとえ)------------------------

ズルズルと日々が過ぎて
眼を挙げれば
ぶら~んと巨大な舌のごとき
死が前を塞ぐ

空には風が吹き渡り
海には潮流が流れていて

ズルズルと六十二年が過ぎて
あっという間だったな

空には風が吹き渡り
海には潮流が流れていて

もうすぐだな
舌の向こう側へと
抜けるのも
いつ
どんなふうにかな

なにも思い浮かばぬが
日に五千回もそびえたつ舌を見あげる

空には風が吹き渡り
海には潮流が流れていて


いいな
鳥は
考えがないから

いいな
魚は
今だけを生きていて

-----------------------

そして2曲目、「Hello my mom!」」。
私はこの曲を聴くたびに、あのホスピスの防音室で、歌う前に「思いきり甘えちゃって!」っと言ってくれたAKIRAさんの優しい声を思い出します。
いま母を精一杯支えてるけど、やっぱりまだ甘えたい、私の中のちっちゃい子供の部分、それをAKIRAさんは解放するために歌ってくれたのだと思います。
そういう力がこの曲にはあるし、AKIRAさん自身の持つ大きな力がそうさせてくれるのだと思います。
「ママに会えてよかった ママの子供でよかった Hello Hello my mom ! ありがとう」
泣きながら、母の膝に顔を埋める私。泣いている姉。
AKIRAさんの声は、前回とはまた違って、母に語りかけるような歌声でした。

音楽ってすごいな。
そのときどきで、強くも優しくもなる。
そしてその力の精一杯を、母と私たち姉妹に向けてくれたAKIRAさん。

そして最後に、「家族」を歌おうか、と言って、「家族」を。
大好きな曲、大切すぎる曲。
みんなで、母を囲んで大合唱しました。
「ママの手をぎゅっと握ってた きみと家族になれることが うれしくて泣いた」
「ぎゅっと」のところで、AKIRAさんはギターを弾く手を止めて、ちゃんと母の手をぎゅっと握ってくれました。
すなハハさんも大きな声で歌ってくれてる。
素直君も、ずっと母の足をさすってくれていました。

それから、hideさんはなんと、「荒野に立つ」のネアリカを母のために持って来てくれたのでした!!!!
これはほんとに、すごい力を持った作品なのです。
まだもう少し手を入れる予定だけれど、とりあえず急を要するから、と持って来てくれたhideさん。
それを、寝ている母からよく見えるようにみんなで壁に飾りました。
そして、素直君の描いてくれた母の似顔絵も。
母のかわいがっていたオカメインコのクウの絵(母画)と3つ並んで、すごくいい空間になりました。

あとで一人になったとき、じっくり「荒野に立つ」を見て、ほんとにその凄さにうたれました。
手前に咲き乱れる青い花は、チベットの青いケシの花だとhideさんは言いました。
遠くに見える山は、チベットの聖地カイラス山だとも。

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そしてふと振り返ると、コウヂさんは母の手を握って目をつぶって、一生懸命念を送ってくれていました。
AKIRAさんも、たくさんたくさん母の手にキスをしてくれました。
もう、なんだかもう、みんな大好きだー!!!

そして、私は母のもとに残り、姉にほかの方々と一緒にご飯を食べに行ってもらうことにしました。
私は祈りライブでたくさんAKIRAさんたちから力をもらったから。
だから、姉にもそれをわけてあげたかったのでした。
ひとりじゃないって、知ることで救われる。
それをほんとに、私はよくわかったから。

そして、私は病室で母と二人になりました。
そうしたら、母は、私の頭を抱いてくれたのでした。
弱々しい手で、でもちゃんと私だとわかって。
そんな力なんてないのに、私が頑張っているのを、母は褒めてくれたのでしょう。
だから私は、母が読んでほしいだろう詩をいくつか読みました。
AKIRAさんの「家族」もアカペラで歌いました。

そうしていたら、なんとROSSAの田中さんからあと30分で来るとの連絡が!
7時になってロビーに出たら、そこに田中さんが!また「家族」が!
できたての詩集と、hideさんのネアリカと、AKIRAさんの「家族」を見ていただいてびっくりしたこと。
田中さんはなんと、チベットが大好きで2回も行っていて、hideさんのネアリカの青いケシの花も、正式名称で知っているという博識な方でした。
すごい~、どこまでつながっていくんだこの作品は!!

そして、この間、田中さんや渡辺さん、浅見さんたちが病室でライブをしてくださったときのデジカメ映像をPCで流しながら、いろいろ話をさせていただきました。
(私の夫もこのへんで到着しました!)
ROSSAのオリジナル曲だという「春」。
私はこれを田中さんと渡辺さんが弾いてくださっているとき、田中さんのギターがあまりに優しくて、渡辺さんのバイオリンがあまりに美しくて涙が出ました。

母の手を取りながら、母をたくさん褒めてくださった田中さん。
日本では生きにくかっただろう母を理解して、深い友情を保ってくれていた田中さん。
田中さんが帰ろうとしたとき、母の目が開きました。
手が弱々しく開きました。
それは、母の「ありがとう、ハグして」というサインなのでした。
田中さんは、ちゃんとハグしてくれました。
想いを込めて、ハグしてくれました。

母には、こんなにいい友人たちがいる。
母をわかってくれている人たちがいる。
それを知ることができただけで、私はとても幸運なのだと思います。
このまま人生を閉じる人だっているだろうから。
だから、私は、幸福なのです。

***

そして私の夫!
めちゃくちゃに忙しいのに、私を心配して無理して来てくれた夫。
夫の買ってきてくれたお寿司を食べて、ビールを飲んで、あとちょっと電話で雑務をしたあと、今これを書いています。
ほんとありがとう!!!
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by sima-r | 2008-07-29 01:09 | Mother

どこにでもいる

母の昏睡は続いています。
苦痛をやわらげるための睡眠薬を使っているので、薬での眠りか自然の昏睡かはわかりませんが、眠っているときの母は、とてもやすらかな顔をしています。
いつまで見ていても見飽きない。
これはきっと、我が子の寝顔を見守る母親の気持にも似ているのかもしれません。


私は、母を見送る心の準備ができてきました。
母は、いなくなるのではありません。
母はこれから、どこにでもいるようになるのです。

姉が母に「行かないで」と言ったとき、母は、「どこにでもいるよ」と答えたそうです。
そう、母はこれから、もっともっと自由になれるのです。
27ヵ国をバックパッカーとして旅した母ですが、まだまだ行きたかったところはあったそうです。
アフリカと南米はまだ行ってないから行きたかった、と前言っていたのですが、これからはきっと思うだけで、どこにでも行けるようになるのでしょう。

そして、思う存分に旅して、もう一回生きてもいいかなと思ったら、また生まれてくるのでしょう。
私は宗教は持っていないけれど、人の生死についてはそういうものなのかも、と思うようになってきました。


ただ、姉はまだ本当に辛そうです。
だから、私はこれからずっと、姉を護ります。
姉が辛い思いをしないように、裏方とか、きたない仕事はみんな引き受ける。
だから、姉が早く、心から笑える日が来ますように。


そして現実問題として、葬儀のことも考えなくてはならない時期になってきました。
喪主は、私が引き受けることになりました。
ミラクルハズバンドな夫も、獅子奮迅の働きをしてくれています。
しかし、「うちの紋ってなんじゃ!」「菩提寺とかよくわからん!」と、アワアワしつつ、もうこんな時間です…。


明日の夕方、右文書院の編集の方が詩集を届けてくれます。
AKIRAさんも夕方には来てくれるそうです。
明後日は母の旧友で詩集の校正をやってくださった坂井さんや、文芸編集や解説をお願いした堀切さんも来てくださいます。
そういうちっちゃな望みで、「まだもうちょっと現世にいてやるか!」と、母が思ってくれるんではないかなと、思っている現在です。
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by sima-r | 2008-07-27 23:45 | Mother

詩集の納期短縮!

編集の方にかけあっていただいて、月末完成予定だった詩集が明後日の月曜になることになりました!
でも、たとえ間に合わなくても、中身をいちばん知っているのは母なので、きっと満足してくれると思います。
(でも見せたいけれど!!)

今日はなっつんがお見舞いに来てくれました。
あとは、ひたすら首が痛くなるくらい事務作業の一日。


母は、一昨日、「生き返す、生き直す」って言っていました。
終わりじゃない、始まりが来るだけだ。

その始まりが安らかで快適であるために、私はできることはみんなやってやるぞ!
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by sima-r | 2008-07-27 01:05 | Mother

日の単位

今日、先生から、いよいよ「日の単位」で考えてくださいと言われました。

それが今夜なのか、明後日なのかはわかりません。
ただ、私たちが今望むのは、母の最期が苦しくないことだけです。
私たちはがんばりました。
やれることはみんなやりました。
あとは、神様と母自身が決めることなのだと思います。

今日の母は、39.4度の高熱が出て、それから脈と血圧が弱くなりました。
このまま血圧が下がり続ければ、今夜にも、ということすらありえます。

AKIRAさんに電話しました。
AKIRAさんは、こうなったらもう、あとは残される人の準備ができているかとか、そういうのを見て、母自身が時を見計らっているんだよと言いました。
AKIRAさんが祈りライブで歌ってくれた「「Hello my mom!」という曲には、「ママを守るために産まれてきたんだ」という歌詞があります。

そう、私のこれまでの人生は、今こうして母を助け、母に助けられるためにあったのだなと思います。
そしてまた、まだこれからも続くであろう私の人生もまた、誰かを助けるために今のこの試練があるのだと思います。


ここのホスピスには鏡がありません。
やつれた自分自身を見てショックを受けないよう、部屋にも風呂場にも鏡がないのです。
今日、来客用のトイレにたまたま入って、ひさびさに自分の顔を見ました。

痩せたから、頬はこけてる。
でも、我ながら「いい顔」になっていました。
20歳くらい歳をとって、いろいろなものを見てきた顔に。


私は何も手を抜かなかった。
これから何が待ち受けるとしても、私はそれをきちんと受け止めよう。
泣いたり叫んだりは、嫌というほどした。
自分がどこで壊れるのか、そういうこともよくわかった。
だからこれからは、そういう自分ごと、ちゃんと生き切ろう。

それが、母が私に教えてくれた、いちばん大切なことだと思うのです。
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by sima-r | 2008-07-25 23:29 | Mother

ちいさな奇跡

今日も、ちいさな奇跡があった。

私はもう、肉体的にも精神的にも限界だった。
それで辛くてしかたなくて、母の前でひざまずいて動けなくなってしまった。
母に、ごめんねって謝りながら。
母の役に立ちたいのにたてなくてごめんねって。

そうしたら、座っている母の前でベッドに突っ伏した私の額に、母はゆっくり手をあてたのだ。
罪を許す、聖母みたいに。

心配、と言って私の額にふれる母。
そしてそのあと、私の頭を抱いて、子供の頃みたいに撫でてくれた。
私は泣きながら、母に顔をくっつけて、長く長く撫でてもらった。
そうやって母は、私を助けてくれたのだ。

そうして、母に、「助けてくれてありがとう」と言ったら、母は反対に、「ルイ(私の名前です)が助けてくれた」と言ってくれたのだった。


「助ける」ということは、「助けられる」ということなんだな。
一方通行じゃ、どこかでバランスがくずれるのだな。
それが、母が教えてくれた、大切な大切なこと。

これが、今日の奇跡。
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by sima-r | 2008-07-24 22:44 | Mother



日々思うこと。
るい 33歳女子。
<家族> 
夫 (スペハズ)
息子(ピースケ)
猫 (おひげ)
今日のピースケ
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