生活チープサイド

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血をつくろう

今日は母のステント処置の日。

肝臓で作られた胆汁が流れる道を胆道というのだけれど、母はそれがふさがってしまったため、おなかの外から胆道を広げるステントという管を入れたのだった。
母は、体力的にはもちろん、精神的にも辛そうだった。
せめて眠った状態で処置してくれればよかったものを、意識がはっきりしたまま内臓をいじくられたのだ。
こういうことが初めての母は、ほんとうに辛そうだった。

いま私は、泥縄で介護や緩和ケアについて学んでいる。
おなかが痛いときは上半身は少し高めに、そして膝の下に枕を入れるといいと書いてある本を、昨夜読んだ。
おなかを切って痛がる母にそれを試したら、少し楽になったようだった。
よかった、ぎりぎり間に合って!

私も姉も、今はほんとうに必死だ。
できることならなんでもしようね、と、母のステント処置中に言い合う。
それこそ、輸血でもリンパ液でも、私たちのものならいくらでも差し出そう。
だから、やつれてる場合なんかじゃない。
食べたくなくても食べて、たんぱく質も鉄分もたくさんとって、血をつくらなければ。
母が食べ物を消化できないなら、私たちが消化して、栄養たっぷりの血を母にあげよう。

私は今うつ病で、自分のごはんを作るのがとても辛い。
食欲もあまりない。
誰かが私のために作ってくれた、Feedしてくれた料理は、天からの贈り物のようにおいしいのだけれど、お弁当やお店の料理には食べていて少し吐き気が出るほどだ。
でも、どんなに食べるのが辛くても、ちゃんと栄養を取ろう。
それが母の役に立つなら、私はがんばって血をつくろう。
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by sima-r | 2008-05-27 23:13 | Mother

「めがね」サントラを届ける

映画「めがね」のサントラを母に届けに、3時半で会社を終わって病院へ。
1日にふたつのことをするのはしんどいのだけど、母が退院したら会社は週一にしてもらうことにしたので、たまりそうな仕事をいろいろ引き継いだりしてきた。

1日会わなかっただけで、母はやせた気がする。
病室で音楽が聴きたいという母のために、土曜日、私と夫はうそをついた。
私たちはちょうどCDラジカセを買いたかったんだよって。
ずっとほしいと思ってたから、ちょうどいいから買って、入院中貸したげるよって。

ほんとは、まったくいらなかった。
でも、母が望むなら、私はなんでも買ってあげたかった。
これまで親不孝だったぶん、私は母になんでもしてあげたかった。
どんどん痩せていく母のためなら、血でも肉でも、なんでもわけてあげたいくらいなのだった。

夫は、そんな私の気持ちをわかってくれているから、そして私がもう体力限界なのを知っているから、土曜も半分仕事のようなことが1日中あったし日曜も会社で試験があったのに、その試験の帰りにCDラジカセを買ってひとりで母に届けてくれた。
母の昼食につきあって、母といっしょにいてくれた。
母はとても喜んで、それからずっと1日中音楽を聴いていたと言っていた。

私が病室についたとき、母は眠っていた。
それからのことは、私にとって大切なことなのでブログには書かない。
ただ、持っていった「めがね」のサントラは、母も気に入ってくれたようだった。
この映画の舞台になった島に、母は行ったことがある。
60過ぎてもバックパッカーだった母は、ザック一つ担いで、本当に世界中を周っていた人だ。
沖縄にも何年も住んで、ほとんどの島をキャンプで何ヶ月も渡り歩いた人なのだ。

夕方で、個室の窓のレースのカーテンはどんどん赤く染まっていく。
蒸し暑いからと少し開けた窓。
スイートオレンジとジュニパーの精油の香り。
そんな中で、「めがね」の曲を黙って聴いていた。
何度も繰り返される主旋律。
聴きながら、私は、きっと一生、この曲を聴くと母を想うのだろうと思った。

日曜に、私は病院に行かなかった。
そのかわり、電話で、いろんな友人と話をした。
その中で、すごく大切なことを言ってくれた友人がいた。
年上のその人は、若いときに父親を亡くしている。
そのときのことを、その友人にとっては今もずっとおぼえている大切な大切なことを。
どんなに失敗しても、その失敗したことすら、母をおぼえてゆける思い出になるということを。
それは、体験していない人には絶対に言えない、重い言葉だ。

私はこれから一生、母のことで後悔すると思う。
大学時代からの10年間、私は母と不和だったから。
その間にできたはずのたくさんのことを思うと、今、私は何を投げうっても、どんなに母に尽くしても足りないと思う。
母をたくさん苦しめたことを、泣かせたことを、私は悔い続けるだろう。
でも、後悔はするけれど、私はこんなふうにしか生きてこられなかった。
その母との戦いの10年のおかげで、今私はこんなにも頼もしく母の役に立てる。
全部がつながっていて、必ず収束するように、人生というものはできているのかもしれない。
その年上の友人がとても強くて優しいように、私もたくさんの後悔を抱えながら、後に続く人に優しくなれるのかもしれない。


今は先のことは考えられなくて、せいぜいあと2週間くらい先のことくらいしか考えられないけれど。
明日は午後に少し大きな処置があるので、会社は11時半で上がる予定。
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by sima-r | 2008-05-26 23:04 | Mother

ありがとう

ほんとうに、ほんとうに大変だった今日。

今日という日を助けてくれた皆さん、ほんとうにありがとう。
今日電話に出てくれたみんな、メールをくれたみんな、あなたたちのおかげで私は今日を生き延びられたと思っています。

でも、ほんとうに私を助けてくれたのは、やはり母なのでした。
母のぬくもり、いっしょに抱きあって泣いたこと。
これは私だけの宝。
それを私はおぼえてゆこう。


ほんとうに、みんなありがとう!
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by sima-r | 2008-05-24 00:35 | Mother

肝臓の処置

朝6時半起床、ひさびさに朝から出社。
12時半で退社させてもらうため、必死で仕事。

病院へ向かう途中、母から電話。
肝臓から胆汁を出す処置(おなかに穴を開けて刺した管から胆汁を外に排出し続ける)を今朝やったとのこと。
朦朧とした母の声。
ただ、あの地獄のようだった大部屋から個室に移れることになったというので、急いで駅で花を買って病院へ。

術後の説明をF医師から受ける。
いろいろ質問。
目が急激に悪くなったのは、すい臓が機能しなくなったせいで糖尿性の視力低下ではないかとか、今後のおなかの管の処置の方法、十二指腸潰瘍になった際の注意点(便の色)など。

病室のベッドに付き添っていると、チームで医療しているため何人もの医師や看護士が来る。
その人たちにこれまでの薬の飲み方(ものすごい量の薬の管理は家では私が一括してやっている)やそのときの体調、などを説明。何度も何度も何度も。
母の要望を看護士に伝えたり交渉したり疲れた顔をされたり申し訳なく思ったり看護士同志の意思の疎通が取れていなくて母が泣きそうになったりそれをなだめたり。

午後、個室に移動。
歴史ある大病院なので、個室といえどもボロい。
でも、地獄の大部屋(これまでに見たどの病院より狭かった)のあとは天国のよう。
ベッドごと運ばれる母がみじめな気持ちでいるのがわかるので、なるべく視界にいるようにしていっしょに移動する。
母は、本当に辛そうで、ずうっと通る人から目をそらしながら運ばれていた。
でも、運んでくれた男の看護士は不器用で、運転?が荒く、廊下の壁にベッドをゴツンゴツン当てるのだった。
そういうことが、患者にとってはどんなに怖いことで、その家族にとってはどんなにせつないことか、その看護士さんも、自分の大事な人が末期がんになったら、やっとわかるのだろうなあ。

末期がん患者の家族の仕事は多い。
書くのが面倒なので書かないが、とにかく、どうしても患者第一に考えてしまうのががん患者の家族なので、小さなことでも気にかかるし、どんな小さなストレスも与えたくない。
そういう細心の注意を払い続けることがどれだけ大変か、やってみないとわからないのだ。

治る病気ならいい。
「あとでゆっくり」「来週考えよう」「時間ができたらやろう」ができるから。
でも私の母は治らないので。
ほんとうに、いつどうなってもおかしくないので、だから家族は必死になるのだ。

こういうことをブログに書くのはどうかと思う。
でも、これは私の記録だ。
いつか、この苦しさも、違う目で思い出せるかもしれないから、へとへとだけれど書いている。

疲れて頭がしびれている。
ああ、あともう3人くらい、介護を日常的に手伝える人がいたらいいのになあ。
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by sima-r | 2008-05-22 22:26 | Mother

長い一日

母の緊急入院のことが気にかかり、夜12時に布団に入ったのに4時までまんじりともせず。
3時半まで眠ろうと努力したけれどどうしてもいろいろ考えてしまい眠れず、あきらめて携帯のテトリス的なゲームを思考停止の目的でやったらなんとか4時過ぎに意識不明に。

後悔とか不安で、夜中何度も涙が流れた。
そうしたら、同じ枕で眠っていたおひげ(ネコ)が、マスクして寝ている私のマスクから出ている部分を全部きれいになめてくれたのだった。
しょっぱくておいしかっただけかもしれないけれど、真夜中にそんなに優しくしてくれるうちの猫は、やっぱり世界一の男前猫だ!
と、朝起きて夫に言ったら、私の頭を黙ってなでてくれた。
この人も世界一の男前夫だ!

そして7時半起床。
会社に休む旨を連絡し、朝食を食べて洗濯して母宅へ。
母は病院だけれど、姉が入院時必要な荷物をとりに昨日から行っていたので。
母宅で花の世話をし、姉と朝食を作りもう一度お相伴。
保険の手続きや金銭関係の電話を何本かして、入院荷物をまとめて病院へ出発。

足の悪い姉の前では男前を気取る私は、姉には重い荷物は持たせない。
しかし重かった…寝不足なのに…。
やはりラジカセは第二陣で運ぶべきだったか。
都心の駅で花を買い、タクシーで病院へ。

病院に着くと母は眠っていたので、こっそりと保険証を盗み出し入院の手続きをすませる。
病室に戻り、丸山ワクチンの成果報告書の記入を看護士さんに依頼し、また母の視力が落ちてきているので入院中に眼科にかかれるか打診。

そして目覚めた母に、姉と二人で持ってきたものをいろいろ食べさせる。
マンゴー投入!!
とっても高いゼリーも投入!!

そして、緊急入院で大部屋に入れられてしまい(本当は個室希望!)辛そうな母に、いい天気だから屋上に行こうと誘った。
母はすっかり時間の感覚がずれていて、まだ2時なのにもう夜だと思っていたらしい。
屋上は、なんの癒しもないむきだしの屋上。
緑はもちろん、ベンチすらない。
自殺防止の高い高いフェンスが取り囲んでいるだけの殺風景なその屋上も、五月晴れの今日は晴れ晴れとしていた。

「五月晴れだね」
と言ったら、母が私の肩を抱いて「来年の五月晴れも見たいね」と言った。
私は胸がつまって、「見ようよ!」としか言えなかった。
姉も、母の手を握って黙っていた。
「これからどうなるのか、全然わからない」と、それから母はぽつりと言った。

理性ではみんなわかってる。
でも感情が全然追いついていかない。
今、この瞬間か、せいぜい2週間後くらいまでしか考えられない。
末期がん患者の人は、その家族は、みんなこんな想いをしているのかな。
みんなこんな、世界がきれいに見えたり、それに感謝したり、憎んだり、そんな気持ちになるのかな。


疲れた母を病室に残し、姉と私は昼食へ。
こうして、姉と二人の時間をもつことも大事だと最近よく思う。
病院内のレストランで、母も食べられそうなメニューがあったので、姉がとろろそば、私が雑炊を頼んで味をリサーチ。

そのあたりで私も姉も電池が切れてきたので、荷物を片付けたあとは帰ることに。
エイトビート発売日だとか、ロッキンオン読みたかったとかちらりと思ったけれど、もう完全に体力がアウト。
タクシーで駅まで。

電車で数分眠ったら少し体力が回復したので、ツタヤへ。
大部屋でかわいそうな母のために、癒しになりそうな音楽を借りに行った。
こういう感じの曲(音出ます)を借りたかったのだけれど、この映画(「めがね」)のサントラはみつからず。
出てないのかなあ、いい映画だったんだがな…。
とりあえず久石譲などのピアノ曲を借りる。
頼んだぞ久石! 癒せ俺の母を!!

そしてスーパーで、母用に長袖Tシャツを買う。
さっさと見つける予定だったのに、「元気の出る柄を…色を…」とか思っていたらけっこう時間がかかる。
でも580円で買えたからよし。

そして帰宅。
洗濯を取り込み、猫と遊んでやり(なんせ遊ぶ気まんまん)、猫ごはんをやり、布団を乾燥機にかけ風呂を入れネットをやり。
ものすごーくこみいった電話を何本もかけたり受けたり。
そして昨日よっちゃんが作ってくれたお味噌汁と、冷凍のお惣菜シリーズで夕食。
これから久石をアイポッドに入れて、そんで寝ます~。
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by sima-r | 2008-05-21 22:15 | Mother

Feed ~ 流れとともに行く

母が昨日、緊急入院しました。
恐れていた黄疸が出てきてしまったのと、腹水がたまり始めているためです。
通常の通院として外来に行ったので風邪引きの私はついておらず、いろいろな手続きはすべて姉がやってくれました。

その報がちょうど入ってドタバタしているとき、よっちゃんが夕飯を作りに来てくれました。
よっちゃんはいつも、人がいちばん必要としているものが自然にわかる才能がある人だと思う。
ちょうど、まきつんから辰巳芳子先生の「命のスープ」のことを前日に教えてもらったばかりで、辰巳先生の本を買わねば!と思っていた私に、はい、とよっちゃんが手渡してくれたもの…。
それが「いのちをいつくしむ 新・家庭料理」(辰巳芳子著)という本で、そのテレパシー具合にびっくりしました。
たぶん、彼女が来てくれなかったら、私にとって昨日は不安と自責の日でしかなかった。
だから、ご飯を作るよっちゃんに、まるでお母さんのスカートにまとわりついてその日のことを話す幼児みたいに、近くに座布団をもっていって、立ち働く彼女を見ながらたくさん話をしました。

***
それで思い出したこと。
私が最も好きな本ベスト3に入る本に、よしもとばななの『アムリタ』があります。
そこの、「Feed」ということについて主人公の朔美が実感する場面を最近よく思い出します。
子供の頃、あたりまえのように空気のようにあった家族の風景。
ごはんを作っているお母さんの後姿。
それが「Feed」ということなんだ、ということ。
それをこのところものすごく実感として思うので、そしてその想いを残しておきたいので、引用します。

----下記『アムリタ』より抜粋引用----

 Feed、これがそういうことだ。私は知ってる。私の体は覚えてる。何もかも失われても、こうして覚え続けている。みんなそうだ、たいていの人にお父さんとお母さんがいて、刻まれている。自分が親になるまではめったに思い出さないけれど、記憶は生きている。死ぬまで。たとえお父さんやお母さんが死んで、家がなくなっても、自分がおばあさんになっても。
-----------------------------------------------------------------

アムリタは、もう読み返しすぎて登場人物たちが私にとっては家族のようになってしまっているのですが、たった2ヶ月前とはまたこの文章の重みが違っています。
それでも、母との関係が今とは全然違っていた2ヶ月前以前でも、私はこの文章がいつもとても気にかかっていたのでした。

私も、これを読んでいる大部分の人も、みんな「Feed」されて育った。
そして人は、いちばん弱ってしまったとき、みんな「Feed」されることを求めるのだと思います。
高熱に浮かされているときに額にあてられるひんやりした手、全部大丈夫だよ、って、無言で肯定してもらうようなことを。

そしてこの間、よっちゃんからもらったお守り。
イスラエルのハムサというそのお守りに与えられた名前は、「流れと共に行く」というものなのでした。

流れとともに。
まさに、今の私たち家族そのもののような言葉な気がする。
人生には大きな流れがあって、私たちは今それに翻弄されている。
逆らおうとしても逆らえない、大きな大きな自然の流れ。

でも、きっと、この流れに乗って進めば、きっと何かがわかるのだと思う。
辛いことや悲しいこと、苦しいこと嫌なこと、それもこれもいっしょくたに含めたもっともっと大きな何か。
怖くてたまらないし、今でも希望は持ち続けているけれど、きっとそれも含めた大きな大きな流れ。

だから、この流れを無理やりねじまげたり、偽ったりしないで、私はこの流れとともに、その向こうにあるものを見届けたいと、見届ける勇気を持ちたいと思うのです。
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by sima-r | 2008-05-21 21:11 | Mother

スープメーカーと介護食

全自動スープメーカーの購入を検討しています。
すーぷじまん
固形物が辛くなってきた母のために、できるだけおいしい流動食を、と考えてのことです。
私はこういう機器があることを知らなかったのだけれど、友人まきつんから教えてもらったのでした。

いろいろ調べた結果、現在いちばんよさそうなのは上記の「すーぷじまん」なんですが、こういう高度な調理機器を使ったことのない私は、ちょっと腰が引けています。
(私の思う高度な調理機器の例・・・パン焼き機、餅つき機等)
さて、どうしたものか…。


それにしても、本屋で母も食べられそうなレシピを探しても、なかなかドンピシャのものはないですね。
あっても、なんだか生々しい古めかしい感じです
「胃を切った人の食事」とか「慢性膵炎の食事療法」みたいな、なんだか血なまぐさい感じのばかりです。
もっと、「栗原はるみのやさしい介護食」とか「平野レミのDo!KAIGO食」とか「ケンタロウのかんたん!ハートフルフード」(タイトルはすべて私の空想です)とか、おしゃれで素敵な装丁のものがあればいいなあと思います。

母は、2ヶ月前まではふつうの人でした。
それが、ある日突然末期がん宣告をされ、だんだん固形物さえ取れなくなってくる。
それでも、だから「ハイ、病人食」というわけではなく、できるだけ最後まで「ふつう」でいさせてあげたいと思うのです。

母は、おしゃれな料理が好きです。
離婚して一人暮らしが長かったから、食べるのはいつも自分で作ったものばかり。
1ヶ月くらい前の病院帰り、電車の待ち時間の関係で入ったレストランで「こういうおしゃれなものは食べる気がする」と、鮭のマリネなどを喜んでつまんでいました。
そんな母と、おしゃれな装丁でしかも病気にもいいレシピの本をいっしょに眺めて、少しでも「あれ食べたい」と思ってほしい。
そういう時間を、少しでも長く持ちたい。

日本人の3人に1人ががんになる時代です。
また、まだまだ元気だけれど、内臓のどこかしらに不調を抱えるお年寄りも多いでしょう。
そんな人たちのために、作る側だけでなく、食べる側(患者・お年寄り)も一緒に楽しんで眺められる料理本を、もっともっと作ってほしいです。
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by sima-r | 2008-05-19 18:45 | Mother

愛すべきチープサイド

風邪を引いてすることもないので、土曜日からずっと、本やまんがを読んでは眠る日々。

今日は『ドリトル先生と緑のカナリア』をひさしぶりに読み返した。
「ドリトル先生物語」は、私が子供のころから大好きだったシリーズだ。
おさない私は、頭の中で、ドリトル先生の助手トーマス・スタビンズ君とならぶもう一人の助手として登場し、先生や動物たちとたくさんの冒険をしたものだ。

本のページを開くと、なつかしい面々があらわれる。
愛すべき食いしん坊のブタのガブガブ、しっかりもので厳しくも優しいアヒルのダブダブ、探し人ならおまかせ!犬のジップ、計算の得意なフクロウのトートー、ひかえめな白ネズミ。
そして何より、私がいちばん好きなのは、そう、ロンドン・スズメのチープサイドだ。
セントポール寺院にある聖エドモント像の耳の穴に住む、この小さくて勇気あるかんしゃく玉みたいな陽気なスズメ。
ロンドンなまりのべらんめえ口調だけれど、ドリトル先生への忠誠心はとてもあついのだ。
このブログもそんな彼の名にあやかっているのは、最初の日記にも書いたとおりだ。
今回も、なつかしさと面白さで一気に読んだ。

それで思ったのは、弱ったときは、私は小さい頃に好きだったものに戻っていくんだなあということ。
去年の2月に子宮外妊娠で入院したとき、私は病院でずっと安房直子を読んでいた。
安房直子の童話は、もはや私の血や肉、日常に溶けてしまっているほどなのだけれど、いちばん弱っていたあのとき、どうしても読み直したくなって夫に家から全部持ってきてもらったのだった。

まんがもたくさん読んだけれど、まんがもたくさん癒してくれるのだけれど、本当に弱ったときは新しいストーリーはつらいときがある。
ふだんなら読み飛ばしてしまうような言葉、聞き逃すようなことでも、そのことについていちばん悩んでいるときは、ふとしたことで気になってしまう言葉がある。
子宮外妊娠のときは、私はほんとうにほんとうに産まれてこられなかった赤ちゃんのことが悲しかったので、テレビのお笑い番組を観ていて「いや~このネタは難産でしたわ!」とかいう言葉にすら反応してしまっていた。
もちろん、それがいやとか傷ついたということではないのだけれど、ただ反応してしまう。

今もそれと同じだ。
これまでずっと読んでいた『奈緒子』というマラソンまんがの続きを借りたら、監督が「末期がん・余命半年」だという。
読むのを楽しみにしていた『3月のライオン』も、将棋まんがだからと安心して読んだら、主要登場人物の親はみんな死んでいる。
病気とは何も関係ないのに、将棋の技に「二階堂ワクチン」とかいう名前が出てくる。
別にそれで傷つくわけじゃない、話も面白く読める。
でも、「ワクチン」とか「余命」とか「親の死に目」とか「介護」とか、そういうキーワードにいちいち心が立ち止まってしまう。

だから最近は、新しい物語はちょっと怖い気がする。
ドリトル先生は、だから私に優しいのだった。
最初に読んだのは6歳のとき。
あれから25年間、ドリトル先生はドリトル先生のままでいてくれた。
ガブガブは相変わらず食べ物のことばっかり、ダブダブは、その白い羽の胸に抱きつきたいくらいしっかりした家政婦ぶりだ。
ほんとに、なんだか自分のうちに帰ったみたいな気がした。

ずっと図書館で借りていたから、この際新品でハードカバーで買ったろうか!とアマゾンで見てみたら、全部新品だと25000円を超えていました。
オーノー!!!
しかし一生読むし、子供ができたら絶対読ませたいし、買うべきか買わざるべきか・・・。


***

ちなみに、この「ドリトル先生」シリーズの翻訳は、皆さん、誰がやっていると思いますか?
なんと井伏鱒二先生なのです!
英米児童文学が日本に入ってきたばかりの頃、まだ翻訳ができる人は数少なかったのでした。
だからこの頃は、日本を代表するような作家が、その素晴らしい文才を惜しみなく子供の本に捧げてくれていたのでした。
石井桃子さんの『クマのプーさん』もそうですが、すばらしい名訳です。
図書館に行けば必ずありますので、未読の方はぜひ読んでみてくださいね。


***
追記
ドリトル先生シリーズ、とりあえず1~6まで買っちゃいました!
あと音楽と人6月号(クロマニヨンズ掲載)も!
それと、まんがのわるくちみたいなことを書いてしまってますが、
なっつんの貸してくれた『光の大社員』は何も考えることなく大笑いできました。
あと、『君に届け』6巻で乙女の胸キュンを、「デトロイト・メタル・シティ」5巻でお下品系笑いを補給したことを追記しておきます!
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by sima-r | 2008-05-19 13:49 | Books

風邪引いた

風邪をひいてしまった。
のどが痛くてだるい感じ。

これくらい、普段なら気にしないのだけど、今はもしも母にうつしてしまったら、と辛い思いです。
私たちができる最低限のことは、自分たちが風邪を引かないことだったのに。
免疫機能が低下した母に、これ以上違う病気は耐えられないから気をつけていたのに。

病院で、先生にどうしたら風邪をうつさないようにできるか何回も聞いた。
でも先生は、マスクしろと言うばかり。
もっと、使った箸や茶碗は熱湯で消毒するとか、風呂水に菌が解けるから風呂は共用しない方がいいとか、そういうちゃんとした?予防法が知りたかったのにな。

万が一だって許されないのに。
でもいちばんばかなのは私だ。
今日の夕方から母宅へ行くはずだったのに。
明日の往診までには治さないと!
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by sima-r | 2008-05-18 14:49 | Mother

窓口になる人

さっき浮き上がっても、もう暗い気持ちになる。
今日の母の状態はずいぶん悪いのらしい。
自宅でのんびり起きて、ヒロトにきゃーとか言っていた自分が、とたんにやましくなる。
昨日の私は獅子奮迅の大活躍だったけど、今日の私はなんにもできてないただの役立たずだ。

往診の先生から、家族と病院の窓口を決めた方がいいと言われた。
交渉や説明は私の方が姉より格段に得意だけれど、姉は20日から仕事を休職する。
仕事をしながら通う私より、姉の方が、母の側にいるぶん窓口には向いているのだろうか。
姉を窓口にしたとすると、おそらくものすごく非効率的で周りに迷惑をかけ、しかも母にも負担がかかる。
私だったら、母に負担を絶対かけないようできるのにな。

私も仕事をまるまる休職した方がいいのかもしれない。
有休も使い果たしたし、いずれは介護休暇で休むつもりではいたけれど、もう申請した方がいいのかな。

それとも、これは「お母さん」を姉ととりあってるみたいな、幼稚な気持ちなのかもしれない。
「私とお姉ちゃんどっちが好き?」って聞いては、お母さんを困らせていた小さい頃みたいに。
私はほんと子供でばかだ。
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by sima-r | 2008-05-16 13:18 | Mother



日々思うこと。
るい 33歳女子。
<家族> 
夫 (スペハズ)
息子(ピースケ)
猫 (おひげ)
今日のピースケ
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