生活チープサイド

カテゴリ:Mother( 102 )

母の三回忌

7月31日は、母の三回忌だった。
三回忌というのは亡くなって2年目にするのだと、母が死んで初めて知った。

2年前のあのとき、サルスベリの花がどこでも赤く白く咲いていた。
今も、サルスベリを見ると母を思い出す。
母は樹木葬だったので、骨を埋めたあとにサルスベリを植えたのだった。

ひさびさに着る喪服を着て、ピースケを抱いてお経を聞いた。
一昨年の今頃は、ピースケはまだこの世にいなかった。
去年の一周忌は、ピースケはまだおなかの中だった。
母の死を起点に、本当にいろんなことが起こったなあ。

お坊さんが帰った後、夫が私だけスーパー銭湯に連れて行ってくれた。
ひさびさの大きなお風呂。
まだピースケが小さいから、あと3年くらいは大きいお風呂は無理だろうと思っていたので嬉しかった。

夜は、ピースケが寝たあと、母が好きだったお寿司を食べながら夫と母のことを話した。
あのとき、事情を知らないながらも頑張った猫のおひげにも、またたびをあげた。
2年前、頑張ったチームだ。

2年たっても、まだ思い出す。
まだ涙も出る。
母の旅立ち方は本当に美しい素晴らしい旅立ちだったけれど、それでも、悲しいものは悲しい。
ただ、あれ以上に私は頑張れなかったな、そして、私が頑張れたのは、私を支えてくれた夫や友達がいてくれたからだな、とつくづく思う。
あのとき、みんなが私にごはんを作ってくれたな。
その一つひとつの味を私は忘れないし、食べることがほとんどできなくなった母が自分から食べようとしてくれたのは、友人たちが差し入れてくれた、お好み焼きだったり、梅ジャムだったり、空豆のスープだったり、りんごジュースだったな、と、ずっとずっとおぼえているだろう。
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by sima-r | 2010-08-02 23:40 | Mother

母のことを思い出している。

母が死んで2年。
もうずいぶん泣かなくなったけれど、あのとき咲いていた花だとか、病室で聴き続けた音楽だとか、思い出すきっかけは多い。

アジサイは切り花にすると、茎の皮を上の方まで剥かないと水が上がらなくてすぐ枯れてしまう。
そんな、病院でおぼえたささやかなこと。
あのときは、花にまで願をかけていたな。
どんな小さな迷信でも、手の届くもの全部にしがみついていた。
なりふりなんて、かまっていられなかった。

戦争、だったのだと思う。
2年前、母が末期がんだとわかったとき、私たちの世界は一変した。
「一変した」なんて書くと普通に読み流されてしまいそうだけれど、ほんとうにがらりと、生きる世界が変わった。
それはたぶん、ある朝目覚めたら戦争が始まっていた、のと同じくらいの変わり方だった。
それまでの常識は通じなくなって、「生きる」ことが最優先になった。

あのときの一日一日が、一年にも二年にも感じる。
たった一日の記憶を、私は一生思い出すだろう。
一生泣き、一生笑うだろう。
母と過ごせる時間はもうなくなってしまったけれど、一生分のその時間を、全部あの4ヵ月半に経験したのだろう。

早く逝ってしまうことを、恐れることはないのだと思う。
早く逝く人とその家族には、きっとその分だけ世界が違って見える。
時間の神様が、特別に濃い時間をくれる。
苦しい時間も、流した涙も、おいしいものをいっしょに食べたことも、咲いていた花も、感じた風も、一生分の重さで残っていく。
それで悲しみが減るわけではないけれど、死ぬことはけして悲劇ではない。

どうか、今、家族と大切な時間を過ごしている人たちが、たくさんの思い出を残せますように。
どんな小さな思い出も、一生分の光になる。
その光を持って、私は泣き、笑い、これから先も生きていけるのだと思う。
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by sima-r | 2010-07-03 10:01 | Mother

母は楽しんでいた

母のことを思い出していた。
母が逝ってしまってからもうすぐ2年。
あの日から、母を思わない日はない。
子供が産まれてからは特に、母を日に何度も思い出すようになった。

母の死後半年間くらいの、あの叫び出したいような辛さはもうない。
今はただ、静かに母を思い、そして泣く。
闘病時代のこと、母に反発していた頃のこと、自分が子供だった頃のこと。

「あんたも子供ができたらわかる」と、母は昔、何度も言っていた。
たいてい喧嘩している時で、憎々しげにそう言う母の言葉は、若い私には呪いのように聞こえ、それで子供を持つことを億劫に思ったりしていた。

今、自分に子供ができて思い出す。
母が作ってくれたレモンの柄のワンピース。
読んでくれた絵本、作ってくれたおやつ。
ハンカチにマジックで書かれた名前、ひな人形。
よもぎを集めて作った草もち、草木染め、川遊び。

今、自分が子供のためにやってあげる立場になって初めて、そういうことがどんなに楽しいことかわかった。
子育てって、楽しいんだな。
母は、ちゃんとそれを楽しんだんだな。

それに気づいたことは、私にとってとても大きなことだった。
私は母を縛っていたわけではなかった。
母の可能性をつぶしたわけではなかった。

子育ては、たぶん10年くらいで終わるのかもしれない。
思春期になって子供が大人に近づくころ、親と子の関係は変わる。
親と子ではなく、大人と大人の関係になっていく。
そこで、価値観が違ったり反発したりというのは、私がそうだったようによくあることだ。
その関係が良いか悪いかは、子育てとはまた違う次元の話なのだと思う。

母は、私が高校卒業するのと同時に家を出た。
理解しているつもりでいたけれど、それでも私は母に罪悪感を持ってしまっていたのだと思う。
母は子育てが終わるまで家を出られなかった。
自分のせいで出られなかったのだ、と。

でも、ようやくわかった。
母は、ちゃんと子育てを楽しんだのだ。
母の「あんたも子供ができたらわかる」という言葉がそういう意味だったかはわからない。
でも、そう思えるようになってようやく、私の中でくすぶっていた子供の心が行き場をみつけたような、そんな気がした。
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by sima-r | 2010-05-14 11:38 | Mother

7月31日

7月31日は、母の命日だった。
あの日から1年。
まだ1年、という思いと、もう1年という思い。

命日の3日くらい前に、母の夢を見た。
母は病院に入院していて、たくさんの点滴につながれていた。
2人部屋で、新しく同室になる人が部屋を見に来て、とても図々しい感じで嫌だった。
そしてその人は、不注意にも母の点滴チューブをひっかけて、それが抜けそうになってしまった。
私は駆け寄って、チューブを押さえながら必死にナースコールを押して、悲しくて悔しくて怖くて泣いた。
夢だから、すごく大きい声で泣いた。
その声で目が覚めたら、同じようにその声で起きた夫がよしよしとしてくれた。

また眠って、今度は母と実家にいるのだった。
いまはもうこの世にない実家だ。
そこでやきもきすることが起こり、「ああ、もう!」と思ったとき、ガタガタっと何かが落ちる音がして目が覚めた。
私は目覚めながら、「お母さんの位牌が壊れたんだ」となぜか思い、起き上がって仏壇の方を見た。
粉々になった位牌が落ちているんだろうと思ったのに、そこに落ちていたのは母の写真を入れた額だった。
A4サイズの額なのでけっこう大きい。
それが、壁に掛けていたのに落ちてしまっていた。
まだ時間は明け方で眠かったので、私はとりあえずその額を拾って布団に入れて、抱っこしてもう一度眠った。
母は、きっと戻ってきていたんだろうなと思った。

命日に、ていさんから立派なお線香をいただいた。
森さんからは、ものすごく立派な、真っ赤なバラの花束。
ぺんさんの旦那さんのKさんは、31日に偶然湘南の方へ釣りへ行っていて、引かれるように母の家の前まで行ってくれたそうだ。
きっとそれ以外にも、母を好きだった人たちは、母を思ってくれたりしたんだろう。

命日って、家族以外は忘れてしまいがちだ。
でも、家族にとってはとても大事で、いろんなことを思う日だ。
それを、自分たち以外に覚えてくれている人がいるというのは、とても慰められることなのだなと思った。

命日当日、母の好きだったお寿司を買って帰った。
メロンも好きだったので、高野のメロンのケーキを買った。
お寿司もケーキも3人分買って、一人分は母に供えた。(そのあともちろん食べたけど)



今月は母の納骨がある。
樹木葬を希望していた母の望み通りの、海の見える最高の場所だ。
植える樹はサルスベリがいい。
あの夏、サルスベリがどんどんとその色を濃くしていった。
がんばれがんばれと、頭上で揺れながら咲いていた。
あの木にしよう。
命日に咲く、紅いあの花。
母は土に還り、そして花となり雨となり風となって、どこにでもいるようになるのだ。

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写真は、母の夢を見た日の虹。
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by sima-r | 2009-08-05 23:25 | Mother

最後の乾杯

ずっとさぼっていましたが、昨年亡くなった母・梅田智江のコミュ(mixi内のコミュニティです)を更新しました。

母は、詩人金子光晴の最晩年の弟子でした。
詩人というのは作品の有無でなく「生き方」そのものなのだ、と、私は母の人生を間近で見て学びました。
苛烈で、純粋。
そんな人が自分を産み育てた人であるというのは、それなりにしんどいことでもありました。

でも、母の人生はほんとうに見事だった。
死の一週間前、もう歩けもしないのに、母と私たち姉妹とで闘病のために借りた部屋へ帰るのだと、強引にホスピスからの外泊をしたことがありました。
歩けないし、何も食べられない。
しゃべるのも苦しいほどの状態だったのに。

私は、そのとき、特上の寿司をとりました。
ビールも買いました。
それは、祝いの席だったから。
3人でやりとげた、がんばったこと全部に、どうしても私は乾杯したかった。

姉は、母の体調を心配し、母のグラスにウーロン茶を注ごうとしました。
すると、母は「ビールじゃないの?」と言って、とてもとても悔しそうにしました。
びっくりするくらい、強い口調でした。

私が「ビールあるよ」と言って注ぐと、母は、ビールを飲みました。
一口でなく、何口も。
水も飲めなかったのに。
固形物なんか食べられない状態だったのに。

そう、絶対に、ビールじゃなきゃならなかった。
乾杯しなきゃならなかった。
私たちはがんばった。
誰が見てなくても、私たちはやりとげた。

その夜は、親子3人で川の字で眠りました。
母は吐いてばかりで、私はほとんど一睡もできませんでした。
でも、幸せだった。

あの日の外泊は、母が命をかけてくれた夜でした。
命をかけて、母というものの力を見せてくれた夜でした。
母は、ほんとうにかっこよかった。
実に、見事な生だった。

今でも、思い出すと涙が出る。
でも、母の命は、死は、最後の瞬間まで光っていた。
3人で飲んだビール、あの冷たさ。
グラスについた水、ソファの皮の足ざわり。
私はずっとずっと、あの部屋の幸せの空気を、匂いを、覚えているのだと思います。
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by sima-r | 2009-06-08 20:44 | Mother

ドクダミの花へ

今日は夫が新入社員歓迎会だというので、大戸屋でごはん。
『VBローズ』14巻、『よつばと』8巻、『納棺夫日記』を読む。

最近、またドクダミの花の季節がめぐってきた。
少し前はハルジオンの盛りで、「貧乏草」なんて呼ばれているこの花が、昨年どんなに私や母を力づけてくれたかを思い出していた。
ドクダミもそう。
葉がくさいからとガーデニングでは敬遠されるこの薬草が、去年どんなに美しく見えたことか。
暗い葉の上に、伸びあがるみたいに白い十字の花。
いっせいにこちらを見ながら、ほんとうに話しかけてくるようだった。
ハルジオンも、まつげみたいに細い花びらの1本1本が、どんなに繊細に語りかけてきたことか。
母が、よく見えない目で私のつんできた花たちを見て、敗血症の40度の熱の下、「きれいね」と言ったこと。
ほんとうに、ほんとうに美しかった。

よく、がんになった人や九死に一生を得た人が、草花の美しさに胸を打たれるようになった、と言うことがある。
あれはほんとうだ。
空気に汚れが何もなくなったみたいに、ものすごく世界はクリアになる。
無心に生きているものの美しさが、放射されるように届く。
そして、花に意志や声は、あるのだと思った。
普段はチャンネルが違うから受信できないけれど、それがシンクロすると、人間と動物が心を交わせるように、植物とも交流ができるのだと感じた。
今はそのアンテナはまた鈍ってきてしまったけれど、それでもドクダミの花たちが「ねえねえ」とこちらを見ている気がする。

<今日の夕食>※大戸屋
 ・ キムチ鍋定食
 ・ 小松菜のおひたし
 ・ たくわん
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by sima-r | 2009-05-22 22:30 | Mother

お彼岸

お彼岸。
花を買って帰ろうと思うけれど、花屋にあるのは仏花ばかり。
今飾っている花がまだきれいでかわいいので、おはぎだけ買って帰る。

母が去年の7月31日に亡くなり、12月くらいまで反動ですごい鬱になってしまった。
あの母死後の半年間は、ほんとうに辛かったなあ。
母の闘病よりも死よりも、その後のほうが辛かった気がする。
でも、いろんなことがものすごく勉強になった。
書こうと思っても書ききれないくらい。

年が明けて、なんだかスイッチが切り替わったような感じがした。
ライブに行って、本ばっかり読んで、友達と会って。
なんだか、遊んでいる自分にまだ半信半疑だ。
いいんだ、もう何もしなくて。
のんびりしていいんだ、遊んでいいんだ。
そして、少しだけ罪悪感がある。

明後日だ。
去年の3月19日、母からメールが来た。
膵臓癌だった、って。
あの日から、まだ1年たっていないんだな。
あまりにも早すぎる。
まだ、やりたいことはいっぱいあったのに。
私はあの日から自分にできるすべてのことをやったけれど、それでも、私たちにもっと時間があったとしたらって思う。

まだ母の夢を見る。
夢の中で、母は病気で入院していて、私はその病院に泊まり込んでいる。
まだ、あの時間の中で立ち止まっている。
ゆっくりゆっくり、夢の時間も進んでいくのかな。
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by sima-r | 2009-03-17 23:21 | Mother

いたみの重さ

会社の人が亡くなった。
54歳の男の人だ。
うちの会社は出張が多い。
彼は、1/7から土日も帰らず九州に連続出張に出ていた。
その日で1か月に及んだ長い出張も終わるという朝、彼はホテルで倒れ、そのまま亡くなった。

今日、母の四十九日以来の喪服を引っぱり出して告別式に出た。
参列者のほとんどが会社の同僚だった。
私は誰とも口をききたくなくて、すみっこにいた。
いろんなことが、まだまだオーバーラップするんだなって思った。
残された奥さんと、子供たち。
1/6に引っ越した家に、彼は1日しかいられなかった。

出棺が終わり、三々五々、みんなが帰り始める。
電車の中で、普通に談笑する同僚たち。
私が敏感になりすぎてるのはわかってる。
わかってるんだけど、私はどうしても話したり、ましてや笑ったりする気持ちになれなくて、黙って車両を変えた。
こういうのって感じ悪いって頭ではわかってはいたのだけど。

悼みの重さは人それぞれ。
わかっていてもたまらなかった。
私がおかしいのかな、おかしいんだろうな。

ただ私は、笑ってほしくなかっただけだ。
忘れてほしくなかっただけだ。
まだまだ悼んでほしい、思い出してほしい。
私はほんと、まだまだ子供だ。
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by sima-r | 2009-02-11 23:42 | Mother

ロックンロールは変わらない

昨日は、母の誕生日だった。

生きていたなら64歳。
去年のこの日は、母宅へ行ったのだった。
背中が痛くてたまらないという母のために、アロマテラピーの精油やキャリアオイルを一式持って行って、マッサージをしたのだった。

あれから、たった1年。
母の背中の痛みが、末期のすい臓がんのためだと知るのはまだ2か月くらいあとのこと。
人生なんて簡単に変わる、ことを知った。
私は、母のためにたくさん泣き、ぶっこわれ、案外とがんばり、燃え尽きて、そして今、母を喪ったことから立ち直ろうとしている。
人生なんて、ほんとうに一瞬で変わるものだ。

昨日、私はクロマニヨンズのライブで大宮に行っていた。
去年の今頃も、同じようにクロマニヨンズのライブに行きまくっていた私は、去年の母の誕生日、ひさしぶりに母と二人きりになって話す話題に困り、なんだかずっと音楽の話ばかりしていた。
ボブ・ディランの話をした。
私がディランの「ディ」の音にアクセントを置いて発音したら、「ラン」にアクセント置いて発音しないと通からバカにされるよ、と言われたりして。
ブルースハープを吹いてみたいと言ったら、母の友人で教えている人がいるから習うといいと言われた。
その人、ブルースハープを教えている浅見さんは、母の病気がわかってから何度もお見舞いに来てくれ、演奏もしてくれた人だ。
でもそのときはまだ顔もわからなくて、私は母と距離を置きたかったから曖昧に言葉を濁していた。
そして母は、そんな私に、エリック・クラプトンの本とロックの歴史の本をくれたのだった。

私はずっと本読みだったから。
音楽が好きになった今も、私にとって最高の娯楽は本を読むことだ。
でも、音楽が好きになって、私の世界は広がった。
違う言葉が話せるようになったみたいだった。

病院で、ロック系のTシャツを着ていた私に、母が言った言葉。

「ロックな人になりなさい」

ロックが何か、私はまだよくわからないけど、でも、これだけは言える。
ロックンロールは、突破口だ。
ヒロトとマーシーが、10何年か前に私の世界に風穴をあけ、そして塞がりかけたその穴に、また新しい風を吹き込んだように。
ロックンロールは、ずっと変わらない。
ヒロトとマーシーが、あの頃からずっと変わらないでいるように。
その衝動は、たとえどんなに眠っているように見えても、くそまじめな格好をしていても、大人になってしまっても、そこにあり続ける。

クリストファー・ロビンが大人になってしまっても。
振り向いたらそこにある。
いつまでも、そこにいる。
100エーカーの森で、クマのプーさんと手をつないで。
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by sima-r | 2009-01-28 21:51 | Mother

本をとどける

昨日・今日は、母の詩集の発送作業漬けの週末となりました。
母の詩の世界での友人の方々に、本当ならもっと早く献本しなければならないところのびのびになってしまっていたのでした。

母の死後、ずっとこの献本作業は私の心に重くのしかかっていました。
早く送らないと、と思いつつ、送るのならきちんとした手紙をつけて大切に送りたいと思ってしまうA型てんびん座コダワリ属の私。
そして、手紙を書くということは母の死をもう一度再現することでもあり、なかなか手が出ないでいました。
8月と9月にほんの少し発送はできたのですが、10月11月は落ち込みがぶり返し(あと仕事も忙しく)、まったくできず。
12月に入りようやく少し立ち直り、この週末、それぞれの方に手紙をつけて送り出すことができました。(でもまだまだ送りたい人はいます…)
ああ、手にマメできた!
どうか、届いた方々が大切に読んでくれますように。

今日は、机に母の位牌と写真を持ってきて作業をしました。
手紙を書いている間にいろいろ思い出してしまい、泣いてぐちゃぐちゃの字になる私。
でも、無機的に送りつけるのではなく、ちゃんと肉の重みをもって手渡したい。
それだけの思いが、この本にはこめられているのだと伝わってほしい。

母は、ほんとかっこよかったな。
何度思い返しても、母の生き方は見事だった。
こういう人の娘でいることはそれなりに大変だったけれど、母の娘でよかった。
そう思います。
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by sima-r | 2008-12-07 19:06 | Mother



日々思うこと。
るい 33歳女子。
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