生活チープサイド

日光訪問・セルフストーリーオペラ「レラ」

日曜。
早起きして夫と日光へ。
日光といったら東照宮しかイメージがわかなかったので、基本を抑えに東照宮参り。
これが、意外にとてもよかった。
大きな道路をそれて細い山道をぐるぐる歩いたのだけれど、東照宮に至るまでの道がとてもよかった。
苔むした階段、樹齢100年はありそうな太い杉の木々。
初めのほうにあった小さい祠のような神社なんて、沖縄のウタキに通じる感じがした。

東照宮は、ものすごくごてごてとしていた。
まるでウェディングケーキのような装飾過多なところが、いっそ潔くて面白かった。
装飾の極致の陽明門を見た後なんて、ふつうの門がしょぼくれて見えたほど。

そして夕方から、ギャラリー悠日にてアシリ・レラさんのセルフストーリーオペラへ。
レラさんは、61歳のアイヌの女性だ。
どっしりとした、あたたかい大地のような人だった。

最初、アイヌの民族衣装を着た男女二人のユニットが登場し、アフリカンドラム。
これがとてもそろっていてかっこよかった!
太鼓ってこんなに面白いとは!

AKIRAさんは、最初の登場は赤い皮ジャンだったのに、アフリカンドラムのあとに登場したときにはレラさんとおそろいのアイヌの衣装を着ていた。
私たち日本人には、必ずアイヌの遺伝子が含まれているのだとAKIRAさんは言った。

そしてレラさんは、崖から落ちた事故で危篤になった経験から話し始めた。
左半身は砕け、眼球も飛び出し、皮膚も移植が必要になるほどの大事故だ。
そのときの臨死体験がなまなましくて、不思議な詩のような語りに引き込まれた。
事故のとき喉に穴を開けて呼吸を確保したため、レラさんの声はそんなに大きくない。
でも、ときに低く語られるその響きに、会場がものすごく集中して耳を澄ましている感じがした。
何十人も集まっているのに、こそとも音がしなかった。
レラさんは、その事故のとき以来、右と左の体で見るものが変わったと言った。

レラさんが、話しながら涙をこぼした。
中学生の時、お父さんが死んだときのことを語っていた時だ。
スイカ、という言葉を、レラさんはとても特別のように口に出した。
その気持ち、私もわかるようになった。
その何かに込められた、大きな大きな思い。

差別を受けてきたアイヌの人たち。
その差別がどんなものだったか、レラさんは語った。
刺青のおばあさんが、孫といっしょに街を歩けないという話。
犬の子、熊の子と罵られ、転ばされたせいで借金してまで親が手に入れてくれた制服のスカートが破れてしまった話。
たぶん、もっとたくさんの思い出があるのだろう。
もっとつらい目に、アイヌの人たちは合ってきたのだろう。

AKIRAさんの歌は、「今日は死ぬのにもってこいの日だ」とか「ミタクオヤシン」とか、私にもいろんな思い入れのある曲。
途中から、レラさんが「太鼓とって」と言って、太鼓をいっしょに叩き始めてとてもかっこよかった。
ピアノのnoriさんも、舞台に背を向けるポジションなのにちゃんとAKIRAさんの歌にうまく合わせていっていてすてきだった。
やっぱり、ピアノの音って好きだなあ。
すごく抒情的にも、ポップにもなる。
レラさんが事故で危篤になった報を聞いて急いで作ったという「レラ」が、とてもよかった。
この曲は、母のためにAKIRAさんがホスピスで祈りライブを開いてくれたときにも歌ってくれた曲だ。
あのときは、「レラ」という歌詞を、「うめ」に替えて歌ってくれたのだったな。

レラさんは、たくさんの孤児を引き取り育てている。
14人の子を養子とし、籍を入れていない子も含めると50人にものぼるのだという。
お孫さん(?)の女の子が、アイヌの弓の踊りを踊ってくれて、とても伸びやかな感じがした。
AKIRAさんはアンコールのとき、「Hello my mom!」を歌った。
ギターを抱えて、「ママに会えてよかった」というサビのところでレラさんに近寄って膝まづくみたいにするAKIRAさん。
そのたびに、レラさんはものすごくあたたかく笑った。
その笑顔、私は忘れないと思う。
ほんとうに、この大きな大地のお母さんのような、そんな笑顔だった。

ライブの後、レラさんと話をした。
握手をした手がものすごくあたたかくて、エネルギーが伝わるようだった。
こうして、もらった熱。
消えないように、消さないようにしたい。
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by sima-r | 2008-10-28 01:49 | Days
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