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生活チープサイド

あの日のこと

土曜日、おなかが痛くなった。
生理痛のような鈍痛。
2時間半ごとに痛みが強まる気がして、とても怖かった。
日曜日にはそれはおさまったのだけれど、今日になってまた痛くなってきた。
とても怖い。

ピースケを産んだ時も、こんな痛みから始まった。

朝起きたときからなんとなく痛くて、だんだんそれが強くなっていった。
おなかの張りは全然ないので、下痢じゃないかと看護師さんや先生に言われた。
そうかと思って何度もトイレに行ったけれど何も出ず。
夕方にほんの少し出血があってナースコールしたけれど、張りもないし様子をみようということになった。

夜11時頃に痛くて目が覚めた。
歩くこともできなくなり、車椅子でトイレに連れて行ってもらった。
でも出ない。
当直の年配の看護師さんは、私に睡眠薬を飲ませて眠らせようとした。

しかし痛い。
またナースコールすると同室の人を起こしてしまうので申し訳なくて、一人でトイレに行った。
痛くて痛くて、スリッパも履けないくらいだった。
でも出ない。
あまりに辛くて、トイレでナースコールした。
看護師さんは、「さっきは車椅子だったのにどうやって来たのかしらねw」みたいな雰囲気。
頑張っても何も出ないと言うと、これを塗って出せと言われて、手にヌルヌルするゼリー状のものを塗られた。
でも出ない。

諦めて個室を出たところで、痛くて痛くて動けなくなった。
車椅子を動かされるのすら耐えられず、洗面台にしがみついて、めがねも投げ捨てた。
そこでようやく当直の先生に診てもらえることになった。

先生が来るまでに、おなかにNST(おなかの張りを見るモニタ)を巻かれた。
しかし張りは全然出ない。
看護師さんたちが「張ってないね〜(やっぱ下痢じゃない?)」と言っていたのが今でも忘れられない。

先生が来て、やっと内診になった。
手を入れた途端、「全開だ、すぐ救急車!!」と言われた。
入院していた病院は個人の産院だったのでNICUがなく、32週では産むことはできなかった。

周りが途端に慌ただしくなった。
荷物をまとめに、看護師さんが病室に駆け上がっていく。
家族に連絡を、と言われたけれど、そのときちょうど夫は、夫の祖母が危篤で岐阜に行っていたのですぐには来られない。
当時千葉に住んでいた姉は、深夜だったので電話に出ず。
都内にいる唯一の肉親である父親は、酔っ払っていて話が通じなかった。

私は、まだ状況がよくわからなかった。
横に来た看護師さんに、「これから持ち直すことはあるんですか?」と聞いたら、看護師さんは気まずい顔をして、「もうお産になると思います」と言った。

救急車が来たときには、赤ちゃんの頭がお尻につかえているような感覚があった。
陣痛は5分おき。
いきむと赤ちゃんが苦しいから、痛みを逃せと言われた。
救急車の天井の継ぎ目のネジをずっと見つめながら、深呼吸して痛みを逃がした。

パニックにはならなかった。
泣いたり動揺したりする暇があったら、早く産んでしまう赤ちゃんのためにできることを全部しようと思った。
陣痛が来るたびに「痛くなってきました」と伝えて、あとはひたすらいきみを逃していた。

救急車が搬送先の大学病院に着いた。
明け方の3時半くらいだっただろうか。
外は強い雨が降っていた。
当直の先生が、玄関まで迎えに来てくれていた。

分娩台に上がって、また痛みを逃がし続けた。
助産師さんが一人ずっとついてくれていて、「痛くなってきました」と言うとお尻を押さえてくれてすごく助かった。

痛みはどんどん強くなって、逃がすのがきつくなってきた。
ずっと、分娩台のシートの縫い目をにらんでいた。
赤ちゃんの心拍の音が弱くならないかが心配だった。

朝8時すぎに、先生がやってきて内診した。
そのはずみで破水。
分娩台は、よくテレビで見るように起こした状態ではなくてベッドのように寝た状態だったのだけれど、その方が楽だと言うと、寝たままで出産にしようと言ってくれた。

寝たまま、大きいいきみが来た。
もういきんでいいと言われて、2回くらいいきんだ。
その途端、何か大切なもの、体の一部が外れたような感じがして、思わず「あっ」と声が出た。
出産だった。

産声がした。
思ったより高い声。
処置をしてNICUに運ぶ前、赤ちゃんを見せてくれた。
赤紫の、ちっちゃなちっちゃな頭。
ほっぺに少しだけさわって、思わず「ごめんね」と声をかけた。
そうしたら、ちっちゃな顔がシワシワになって、赤ちゃんは泣き出したのだった。

あの時、「ごめんね」じゃなくて「よく頑張ったね」って言ってあげればよかった。
「ありがとう」って。

いきみを逃がしているとき、赤ちゃんが苦しくないようにとばかり念じていた。
私のせいで余計に赤ちゃんが苦しくならないように。
私にできるのは、もうこんなことしかないから。
赤ちゃんの心拍をずっと聴きながら、赤ちゃんも一緒に頑張っている!と思った。

今、ピースケのときと同じように切迫早産になって、決めていることはふたつある。
ひとつは、赤ちゃんのためにできることはなんでもすること。
どんな治療も、辛さも我慢する。
もうひとつは、赤ちゃんが産まれたときに「ありがとう」って言うこと。
ありがとう、よく頑張ったねって。

どうか、まだ赤ちゃんをおなかに入れておけますように。
痛みは相変わらず、弱くなったり強くなったりしている。
診察をしてもらったら悪化はしていないそうで、少し安心したけれど。

子宮頸管無力症だと、おなかが張らなくてもお産になるらしい。
入院していた産院で子宮口が全開になるまで放置されたことを、ずっとどうなんだ?と思っていたけれど、本当に張らなかったからわかりようがなかったのかもしれない。
だとしたら今回も、張らないままにお産になるのかもしれない。

痛いと怖くなる。
あの日のことばかり考えてしまう。
早く2週間くらいたってくれたらいいのにな。
by sima-r | 2011-08-29 17:48 | 未分類
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日々思うこと。

by sima-r
るい 33歳女子。
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